81年新日本プロレス「第2回MSGタッグ・リーグ戦」の出場チーム変更が伝えられた81年11月10日付(9日発行)の「東京スポーツ」での記事の序文のところには小さく「なお、元国際プロのラッシャー木村はストロング小林とタッグが決定しているが、S小林のコンディション次第では再度の変更もあり得る」という注釈が掲載されており、当時リアルタイムでは見逃していたものの、ここで初めてS小林のコンディション不良が情報として公に出ました。
そして11月13日付(12日発行)の「東京スポーツ」では、3面に「これでまた面白くなったMSGタッグ・リーグ戦、木村、浜口"復讐鬼タッグ結成"小林の腰痛悪化で急拠、変更に」としてS小林の腰痛について初めて触れ、先日変更された「第2回MSGタッグ・リーグ戦」エントリーのR木村&S小林組から再び当初の発表通り、R木村&浜口組に再変更されたことを発表しています。
S小林が10月16日の大分県立総合体育館以降「雲隠れ」となっていた理由が明らかにされました。以下記事本文から抜粋して引用してみたいと思います。記事を書いているのは後に新日本プロレスのフロント入りする永島勝司記者。
S小林は前シリーズ中に突如、消息を断ち西独ハノーバー・トーナメント参加予定も一方的にキャンセルしてしまった。一時は国プロ軍団の陰謀説もささやかれたが行方不明の真相は腰痛にあったのだ。
「ボクとしてもR木村ら国際プロ軍団に協力したかった。事務所に無断で腰の治療に行ったのは申し訳なく思っている。一時は全く歩行も出来ない始末で…。いろんな医者にも行ってみたが、依然よくならない。今回のMSGタッグ・リーグ戦はラッシャーと組んで一発勝負を賭けようと思っていたが、断腸の思いで辞退した。」
S小林は依然まっすぐに伸ばすことの出来ない腰に手をやりながら悔しがる。
新日プロフロントは急拠、小林の代打として浜口を指名した。小林も「浜口なら大丈夫、俺の分までやってくれるだろう」と快くバトンタッチしたが、ここで猛ハッスルしているのが浜口。
「最初は出番がないのかと、ガックリきていたがこれで張りが出た。もちろん、小林さんの分まで頑張るが、俺は藤波には借りがある。この千載一遇のチャンスに猪木にも一矢報いるぜ。」ドスの効いた声がいっそう不気味になるほど気負い込んでいる。
木村と浜口のタッグ、二人の連係プレーにはもちろん不安は皆無だ。国プロ時代にタイトルを二人で奪ったことはないが何度となくコンビを組み、外人勢を連破していた実績は優勝候補と目されるハンセン&マードック組、猪木&藤波組にとって、やっかいなタッグ結成となったものだ。
木村のパワーと浜口のパワーがガッチリ噛み合った時、あの大巨人ジャイアントをもふっ飛ばしそうな威力を発揮するだろう。唯一の死角といえばスピードに欠ける部分だが、浜口が3�糎採漫∈険Δ瞭阿�もスムーズになっておりカバー出来るものとみる。
さらに、このチームにとって幸いなのは、浜口が今日(81年11月)12日から韓国・済州島決戦で猪木、藤波に同行することだ。大一番(11月5日蔵前国技館でのR木村戦)を終え、ホッと一息をついている猪木から、新日プロ勢の間隙を突き一気に突き進むことは十分に考えられる。
※「闘魂シリーズ」終了後、猪木、藤波ら新日本プロレス一行は大韓プロレス協会の招きで韓国・済州島遠征を行っている。
「浜口がパートナー?よし、一気に優勝を狙う。自分のコンディションもベストだ。11・5の猪木戦、俺は負けたと思っていない。タッグ(リーグ)戦の中でもう一度、奴とシングル戦をやりたい。俺はどこまでも猪木を追い続ける。その実績をつけろというのなら、このタッグ(リーグ)戦で証明してやる。浜口がパートナーなら、最初からガンガン飛ばしていく」
早くも木村のエンジンは全開だ。"復活・国プロ軍団”木村&浜口の”復讐鬼タッグ”はどうやらMSGタッグ・リーグ戦の台風の目となってきそうである。
以上がS小林の腰痛悪化を伝える「東京スポーツ」の記事です。新日本プロレスはS小林の回復をギリギリまで待っていましたが、S小林の腰は思いの外重症で、S小林はしばらく表舞台から姿を消すことになりました。
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