81年、最後のWWF遠征の判明している範囲でのストロング小林の戦績の続きです。
6月22日 ニューヨーク州ロチェスター ○トニー・アトラス
6月24日 コネチカット州ノーウィッチ ○Tアトラス
6月27日 コネチカット州オールド・セイブルック ○バロン・シクルナ
6月28日 コネチカット州ハートフォード ○カート・ヘニング
6月29日 ペンシルバニア州スクラントン ○"ビッグ"ロン・ショー
6月30日 ペンシルバニア州アレンタウン(TVテーピング) ○ピート・ミッチェル
7月1日 ペンシルバニア州ハンブルク(TVテーピング) ○ジャック・カーソン
7月2日 マサチューセッツ州フィッチバーグ ○ジョニー・ロッズ
7月3日 ニューヨーク州アルバニー ○ロッズ
7月8日 ニュージャージー州アズベリー・パーク ○ラリー・シャープ&S小林組vsCヘニング&リー・ウォング組
7月9日 マサチューセッツ州ウースター ●ドン・ムラコ(インターコンチネンタル選手権試合)
7月10日 ペンシルバニア州ハリスバーグ ●クリス・キャニオン
まずは、前回と今回、6月12日〜7月10日まで。初戦のフランク・サベージは新日本プロレスの次期「サマー・ファイト・シリーズ」(7月3日後楽園ホールで開幕)に初来日が決まっている中堅のラフファイター。
第2戦のシクルナは大ベテラン、S小林とは国際プロレス時代の72年7月「ビッグ・サマー・シリーズ」で対戦、7月7日、千葉県体育館ではS小林&グレート草津組vsビル・ミラー&シクルナ組のIWA世界タッグ王座決定戦で対戦、2−1でS小林&草津組が勝って、新王者チームになっています。
シクルナが唯一、新日本プロレスに参戦した78年4〜6月の「MSGシリーズ」はS小林が逆にWWWF地区に遠征に行っており、入れ違いとなりました。
翌82年1月にバッドニュース・アレンと共にアブドーラ・ザ・ブッチャーと「黒い軍団」を結成して新日本プロレスに初来日するSD(スペシャル・デリバリー)ジョーンズとは前回の遠征時、78年5月22日、MSGで対戦して敗れていますが、今回は初回は引き分け。
レスリングスクールで数多くのトップレスラーを輩出したロッズは来日は全日本プロレスのみでしたが、上手いジョバーといったレスラーです。
ラリー・ヘニングの息子であるカートはこの時まだ23歳、グリーンボーイの域を出ておらずWWFで下積み中。初来日はこれより2年半後の83年11〜12月の「第4回MSGタッグ・リーグ戦」(パートナーはボビー・ダンカン)ですからまだまだレスラーとしては完成途上にありました。
「ボディビルのコンテストに出場する為引退する」と「第4回MSGシリーズ」の初来日をキャンセルしたアトラスと2回対戦してS小林の2勝。ただし3月16日のMSGではハルク・ホーガンがアトラスに敗れており結果は額面通り受け取れないと思います。
いずれにしても初来日キャンセル理由は嘘でした。
”ビッグ”ロン・ショーは未来日のWWFのベテランジョバーですが、これより4年後の85年11月にデビット・サンマルチノをボディスラム7連発で一方的に叩き潰してしまったことがありました。
デビットのポジションをめぐり、父であるブルーノとビンス・マクマホンの間で対立があった為に起きた事件とされています。
7月9日にはムラコのインターコンチネンタル王座に挑戦。前回、6月8日のMSG定期戦ではペドロ・モラレスがサーキット・スローターに反則勝ちで防衛していますが、モラレスは6月20日のフィラデルフィア・スペクトラムでムラコに敗れてベルトを奪われていました。
7月10日に対戦して敗れているキャニオンは後のキングコング・バンディ。当時25歳。2日前の7月8日にアズベリー・パークでS小林とタッグを組んでいるLシャープのコーチを受けてWWFのジョバーを務めていた時期で、この年の11月にテキサス州ダラスに転戦、バンディに改名してエリック一家と抗争するヒールとして出世していきました。(この項続く)
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