第253戦、9月7日発売号●【予想】「放浪の殺し屋」ジプシー・ジョー初来日第1戦、vsマイティ井上(75年国際プロレス後楽園ホール)【正解】「アラビアの怪人」ザ・シーク初来日、坂口と流血のUN2連戦(72年日本プロレス大阪府立体育会館)【参考】2016年9月7日発売号は正解に同じ。
この予想も6シーズン目に突入しました。正解の方は2週連続の既出の話題となります。共に初来日第1戦のお話、ジョーとシークでは格が違いますが…。
【予想解説】「放浪の殺し屋」あるいは「放浪狼」として東京12チャンネル時代の国際プロレスのエース外国人を務めたジョー。その前歴には謎の部分も非常に多いですが、当時のプロフィールには「スペインのバスク地方に生息していたジプシーの末裔」と記載されていました。
ジョーは本名ヒルベルト・メレンデス、1933年12月2日、プエルトリコ・オロコビス出身、少年時代から野球に熱中も一家揃ってプエルトリコからニューヨークに移住。
その後、フロリダのトマト農園で働きながらプロ野球選手を目指すも断念。ニューヨークへ戻り、63年にWWWFのローカル・テリトリーにおいて、ペペ・フィゲロアのリングネームでルー・アルバーノを相手にデビュー、29歳という当時としては遅いプロレス入りでした。当時のトレーニング仲間には、同じプエルトリカンのペドロ・モラレスやカルロス・コロンがいたといいます。
以後、北米大陸各地を転戦。後年まで主戦場とするテネシー地区では、フランク・マルティネスをパートナーにマスクマンタッグチームのザ・ブルー・インフェルノスを結成。66年から67年にかけて、ジャッキー・ファーゴ、マリオ・ミラノ、ドン・ケントらによるチームを相手にテネシータッグ王座を争い日本プロレスからアメリカ修行に出ていた星野勘太郎&山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズとも対戦した経験があります。
その後は素顔に戻り、71年にはジーン・マドリッドのリングネームでテキサス東部のダラス地区(フリッツ・フォン・エリックが主宰していたNWAビッグタイム・レスリング、後のWCWA)に出場。主に前座から中堅のヒールとしてブル・カリー、ミツ荒川、ヨシノサト(高千穂明久)らと共闘し、ジェス・オルテガ、マイティ・イゴール(イゴール・ボディック)、ディウイ・ロバートソン(ミッシング・リンク、ザ・クルセーダーズ2号)、モンゴリアン・ストンパー、ソニー・キング、ドン・デヌーチ、フレッド・カリーなどトップところと対戦しましたが。ポジションはジョバーで売れない生活が続きました。
74年に同じヒスパニック系民族となるメキシコに遠征でアズティック・ジョーなるインディアン・ギミックのレスラーに変身するも当たらず、同ジプシー・ジョーと名乗り、カナダのモントリオール地区に登場、マッドドッグ・バションやドン・レオ・ジョナサン、ジョー・ルダックらと抗争を展開したました。
その無類の打たれ強さ、喧嘩の強さバションに見出され、バションの抗争相手としてメインイベンターに抜擢され、同年12月3日にはバションが主宰していたグランプリ・レスリングにおいて、バションからGPWヘビー級王座を獲得。
75年に入ると「ゴング」誌上で「狂い咲く血の花」としてジョーの存在が紹介され、モントリオールでのバションとの遺恨試合が紹介されました。同年9月、バションの紹介で国際プロレス「ビッグ・ゴールデン・シリーズ」に初来日。
扱いはエースで他はザ・キラー(ベンジ・ラミレス、ザ・マミー)、ホセ・リベラ(クラッシャー・リバース)、アイザック・ロザリオが参加しています。
開幕戦の9月7日、後楽園ホールでの第1戦は実力者・元IWA世界ヘビー級王者、井上とのシングルマッチ45分3本勝負。この試合、井上の攻撃はほとんどダメージを与えられず、1本目は8分15秒、ジョーがコーナーポスト最上段からの体固め、2本目もジョーがやりたい放題で1分32秒、井上の反則勝ち、3本目は僅か45秒、井上の反則勝ちとなり、2−1で井上がスコアの上では勝ちましたが、内容はジョーのワンサイドな試合になっています。
【正解解説】当時、初来日が期待された「アラビアの怪人」シーク。69年9月13日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで馬場のインターナショナル王座に挑戦し、2−1でスコアの上では敗れるも、馬場を凶器攻撃で血だるまにしており、日本のファンの間でもさらに幻想が膨らみました。
ミシガン州デトロイトを地盤としたNWAビッグタイム・レスリングのオーナー兼トップレスラー立ったシークはスケジュールを押さえるのが大変で、長期の遠征が出来ず、日本プロレスでは71年8月の「サマー・ミステリー・シリーズ」の終盤2日間、9月4日、田園コロシアム、9月6日、札幌中島スポーツセンターに特別参加が決定、田コロでは馬場のインターナショナル王座に挑戦、札幌では猪木のUN王座に挑戦が決まっていましたが、アメリカのスケジュールが合わず、来日をキャンセル。
日本プロレスでは代打にするには余りある超大物、フリッツ・フォン・エリックに特別ボーナスを払って急遽招聘、BIと対戦させて事なきを得ました。
1年後の72年、シークが日本プロレスに初来日しましたが、猪木、馬場が相次いで去った日本プロレスのリングでアラビアの怪人を迎え撃ったのはデトロイトで修行していたUN王者の坂口征二。
シークは9月6日、田園コロシアムと7日の大阪府立体育会館の2大会のみの特別参加、坂口とのUN王座を賭けた2連戦です。第1戦の田コロでは1本目は3分16秒、シークがラクダ固め(キャメルクラッチ)、2本目は1分21秒、坂口が体固め、決勝の3本目は僅か56秒、レフェリーの死角を突いた凶器攻撃からの体固めでシークがフォール勝ち。2−1で新王者となりました。
翌7日の大阪は坂口のリターンマッチとなり、1本目は4分22秒、坂口の反則勝ち、2本目、1本目からのシークの凶器攻撃でコメカミのあたりをザックリ切って流血した坂口でしたが、3分、ブレーンバスターから体固めでシークをフォール。反則含みながら2−0のストレート勝ちで坂口が王座を奪回、シークは一日殿下に終わっています。
※対戦戦績は253戦45勝208敗、勝率178。
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