第248戦、8月3日発売号●【予想】猪木vsブルーザー・ブロディ、「運命の対決」第四章ハワイでの激闘(85年ハワイ・ホノルル・アロハスタジアム)【正解】タイガーマスクラストマッチ、NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合vs寺西勇(83年8月4日新日本プロレス蔵前国技館)【参考】2016年8月3日発売号は新日本プロレスのNWA加盟申請が反対多数で否決(73年ネバダ州ラスベガス)
【予想解説】85年3月19日のテレビ朝日「ニュースステーション」の中で突然「世界最強のプロレスラー、ブルーザー・ブロディ選手の新日本プロレス移籍が決定致しました」と報じられ、プロレスファンもそうでない人達にも大きなインパクトを与えました。
テレ朝が看板番組である「Nステ」を使ってブロディ移籍を報じたのはやはりライバル局である日本テレビとその管理下に置かれている全日本プロレスに対する意地であり、テレビ局を挙げての報復宣言でした。
「ブロディが来るのでは?」との期待からかビッグ・ファイト・シリーズ第1弾の最終戦である3月21日、後楽園ホールは2,515人(超満員発表)の観衆で埋め尽くされました。
私はこの日の興行は生で観ていますが、一番安い指定席を買っており、南側の最後列R37番でしたが、これが当日思わぬことになってしまうとはチケットを購入した時は想像もつきませんでした。
メインイベントは猪木とハックソー・ヒギンズの一騎打ちの再戦。3月1日、同所での開幕戦での対戦ではヒギンズのパワーにいいところなく押されっ放しで、バックフリップで半失神状態となり辛うじて反則勝ちを拾った猪木のリベンジマッチの様相でした。
メイン開始前、後楽園ホールの南側最後列の立見スペースの左側のドアにスポットライトが照らされ、片手にチェーン、片手に花束を持ったスーツ姿のブロディが姿を現しました。ブロディはリングに上がるや猪木と初対峙。
この時テーマ曲というか、BGMにはベートーベンの「運命」が使われていました。
ブロディは持っていた花束を猪木に投げつけるように渡し、チェーンをリング上で引き摺ってみせ猪木を挑発。猪木は厳しい目でブロディを睨みつけましたが、掴みかかるなどの身体のコンタクトはなし。
ブロディはリングを去っています。ブロディは「猪木の眼にバーニング・スピリットを感じた」とコメントしています。
これで割りを食ったのがメインで猪木と対戦するハックソー・ヒギンズ。3月1日の同所での開幕戦では猪木を完膚なきまでに叩きのめして、強いインパクトを与えましたが、ブロディという難敵を目前にした猪木はヒギンズを寄せ付けず、僅か3分27秒、延髄斬りからの体固めでヒギンズからあっさりと勝利を奪っています。
ブロディは一旦引き下がるとホール5階のリングサイドからリングイン。既にリングに上がっていた赤いガウン姿の猪木とリング上で初めて対峙しました。
猪木とブロディの初対決はこの年の大相撲初場所からこけら落としとなった4月18日、両国国技館。
新日本プロレスでは、この3日前のオフ日に当たる4月15日に後楽園ホールを押さえ、2,000円の入場料を取っての両国大会のプロモーションも兼ねた猪木、ブロディによる有料公開スパーリングを行いました。
新日本プロレスが大会前に後楽園ホールで有料公開スパーリングを行ったのは76年6月20日、モハメド・アリ戦(同6月26日日本武道館)、80年2月10日、ウィリー・ウイリアムス戦(同2月27日蔵前国技館)の2つの異種格闘技戦の前にだけで、純粋なプロレスラー同士の試合ではこれが初。
いかにブロディが別格の大物であったかがわかるというものです。
両国国技館初使用となる新日本プロレスは前84年6月14日、蔵前国技館でのハルク・ホーガンvs猪木のIWGP優勝決定戦での長州力乱入による不透明決着から、観客が暴動を起こし、国技館の建物を毀損させる事故を起こしており、日本相撲協会の意向には細心の注意を払っていました。
蔵前国技館は取り壊しが決まっていたこともありお咎めなしでしたが新築したばかりの両国国技館を傷つけたら使用禁止になりかねない。
そんなところから新日本プロレスはブロディが入場時に入って来るチェーンの使用禁止をブロディ側に通告。
これに激怒したブロディが控室(国技館の場合は支度部屋)から物凄い勢いで走ってきて日本側の控室を襲撃。猪木に襲いかかり右肘を殴打して負傷を負わせてしまいました。
試合はブロディが先に「移民の歌」の入場テーマ曲に乗って入場。全日本プロレスで使われてきた石松元と彼のバンドによるインストゥルメンタルではなく本家レッド・ツェッペリン版。全日本プロレス時代には着用していなかった毛皮のコスチュームを着用、手にはチェーンを保って振り回しての入場。
続いて猪木の入場…ですが右肘のダメージがあり「炎のファイター」の入場テーマ曲が鳴ってもなかなか出て来ない。控室で大竹(だいたけ)トレーナーに応急処置をしてもらい、肘に包帯を巻いてもらい試合に臨みました。
猪木が入場してくる時には炎のファイターがほぼフルコーラスで掛かって終わる頃にようやくリングイン。
猪木の右肘には白い包帯が巻かれていました。
試合は独特の間合いを取りながら自分のペースで試合をするブロディに猪木は苛立ちを隠せず。綺麗なバックドロップも決めていきましたが決定打とはならず、延髄斬りもブロディは身体をグラつかせてようやく倒れかかりました。
猪木はブロディの毛皮付きブーツを脱がすと膝にアリキックの連発。これは効いたかブロディは膝から出血。この出血がいかにも不自然として後にフラメンコダンサーで猪木ファンの板坂剛が不正出血であると著書で指摘しています。
ブロディはジャイアントスイングで猪木をの身体を回しましたが膝のダメージが深くて不十分に終わり、最後は再び場外戦、26分20秒、両者リングアウトとなっています。
猪木vsブロディ、「運命の対決」第一戦はドローに終わりました。
第2戦は6月28日、品川プリンスホテル・アイスアリーナで開幕した「バーニングスピリット・イン・サマー」7月28日大阪城ホール大会。新日本プロレスは前84年3月21日の同所プロレスこけら落とし以来1年4か月ぶりの開催。
85年の大相撲春場所を最後に、西の聖地と言われた旧・大阪府立体育会館が老朽化の為取り壊し、同所に再建築となり(2年後の春場所にリニューアルオープン)、プロレス興行は大阪城ホールでの開催にシフトしていきました。
長州力らジャパンプロレス勢の加入で勢いづく全日本、ジャパン連合軍はこの年2月21日、5月13日(ジャパン自主興行)、6月4日(全日本主催)と既に大阪城ホールで3回の興行を開催、新日本プロレスが開催した1週間後の8月5日にもジャパンの自主興行で開催が決まっていました。
選手層が薄くなった新日本プロレスは2月6日、旧府立での最終興行(猪木vsキングコング・バンディ、藤波vsハルク・ホーガン、ザ・コブラvsヒロ斉藤のWWFジュニア・ヘビー級選手権試合)、この日まで大阪市内での大興行は行わず、豪華メンバーを集めた「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」も大阪での開催はなし。
「大阪に強い新日本」が約半年近い間大阪でビッグマッチを打たなかったのは珍しいですが、不入りを懸念して「溜めていた」ように思います。満を持して放った大阪城ホール大会は猪木vsブロディの「運命の対決第二章」を持って来ただけのことはあり、超満員の観客を動員してみせました。
メインイベントの猪木vsブロディ、二番勝負第1戦は16分38秒、ブロディの反則に怒った猪木がエプロンに置いてあったブロディの守護神とも言えるチェーンを持ち出してブロディを殴打、猪木の反則負けとなっています。
猪木vsブロディ運命の対決第三章は8月1日、新日本プロレス2度目の開催となる両国国技館で実現。(この日、ブロディは初めて「運命」からの「移民の歌」(レッド・ツェッペリン版)2曲合体のテーマ曲で入場しています。21分24秒にブロディの反則攻撃に激怒した猪木がリングサイドのパイプ椅子を持ち出してブロディを攻撃しまたもや反則負けを取られました。二番勝負は猪木の2連続反則負けに終わっています
85年「バーニングスピリット・イン・サマー」が終わると新日本プロレス一行は2月に次いでハワイ遠征を行いました。
8月3日、ホノルル・アロハスタジアムでのビッグマッチでは日本で激闘を展開したばかりの猪木とブルーザー・ブロディが4度目のシングル対決。ブロディが猪木を新兵器のアルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げましたが猪木は絶妙にポジションをずらして両者場外へ。
8分45秒、両者リングアウトの引き分けとなりました。これで両者のシングルマッチでの対戦成績は猪木の2反則負け2両リンとなりました。
【正解解説】83年8月4日、新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」最終戦、蔵前国技館大会。同年5月のタイガーマスク原作車である劇画作家、梶原一騎の逮捕を受けて、この日、休憩開けにタイガーマスクと新間寿営業本部長がリングに上がり、タイガーマスクの改名を発表、テレビ朝日ワールドプロレスリングの番組の中で新リングネームをファンから公募しています。
このシリーズは猪木が先の6月2日、蔵前国技館でのIWGP優勝決定戦でハルク・ホーガンに失神KO負けしたダメージからシリーズ全休となりましたが、蔵前大会は13,000人(超満員発表)の大観衆を動員し、新日本プロレスブームを感じさせられました。私はこの大会は観に行っています。
セミファイナルはタイガーマスクに寺西勇が挑戦したNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合。7月7日の大阪府立体育会館の再戦となりました。
寺西は珍しい雪崩式のバックフリップを披露、ストマックブロックからカンガルーキック、フェイスバスター、久々のジャーマンと攻め立てます。
キャリア17年の大ベテランの寺西は、これが蔵前クラスの大会場で初めてのタイトルマッチだっただけに良い動きを見せました。
タイガーマスクはムーンサルトプレスは自爆させられたものの、ローリングソバット、プランチャを鮮やかに決めて観客を湧かせました。寺西もジャーマン・スープレックスホールドを出しましたが、これはカウント2でタイガーマスクがクリア、そしてもう一発ジャーマンを狙った寺西ででしたが、タイガーマスクがバックを取り返すと必殺のタイガースープレックス・ホールド。
14分37秒、タイガーマスクが2度目の王座防衛に成功しています。
当初は次期「ブラディ・ファイト・シリーズ」を「タイガーマスクさよならシリーズ」 として行い、次々期「闘魂シリーズ」から新リングネームとなる予定でしたが、タイガーマスクは8月11日に新日本プロレスとテレビ朝日に契約解除の内容証明郵便を送付、電撃引退を発表しています。
※対戦戦績は248戦45勝203敗、勝率181。
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