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2023年02月24日22:55

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(47)

第213戦、11月24日発売号●【予想】馬場、ディック・ザ・ブルーザーに反則勝ちで復活インターナショナル王座獲得(65年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】「打倒・猪木」を誓うルスカがゴッチに弟子入り特訓(76年新日本プロレス)

【予想解説】「一代の英傑」力道山は63年12月15日、暴力団員に刺された傷がもとで腸閉塞を起こし午後9時50分、入院先の赤坂・山王病院で死去、享年39歳(年齢は41歳説もあり)。

亡くなった時に、力道山はインターナショナル王者、アジア・ヘビー級王者、アジア・タッグ王者(パートナーは豊登)の三冠王者でしたが、インターナショナルとアジアのシングルのベルトは力道山1代限りとし王座は空位になりベルトは百田家(力道山家)に返還されました。(他に防衛戦はやっていなかったものの、日本重量級選手権もあり)

この中で先ず最初に復活したのがアジア・タッグ王座であり、力道山死後から2か月後の64年2月20日、名古屋・金山体育館で豊登&吉村道明組がカーチス(キング)・イヤウケア&ドン・マノキャン組を破り王座獲得しています。

シングルベルトはしばらくなく、同年12月4日、東京体育館で豊登がザ・デストロイヤーを破って力道山が保持していたWWA世界ヘビー級王座を獲得しましたが、デストロイヤーは帰国後も王者を名乗って防衛戦を行っており、ペドロ・モラレス、ルーク・グラハムへと王座移動。

WWAには2人の世界王者が存在し、「飛行機嫌い」で知られる豊登ですが、65年9月に敵陣ロサンゼルスに乗り込み9月8日、オリンピック・オーデトリアムでLグラハムと王座統一戦を行い2−0のストレート勝ちで2本のベルトを統一するも9月20日、同所での再戦でLグラハムに1−1から反則負けでベルトを奪い返されました。

過去、力道山もフレッド・ブラッシーに不可解なドクターストップ負けでベルトを落とした経緯があり日本でWWAは「伏魔殿」と呼ばれダーティイメージがまとわりつきました。

WWAもこのような杜撰なビジネスをしていてはやはり団体としてはダメで、徐々に衰退していき68年10月にNWAハリウッド・レスリングに吸収合併されて消滅しています。

やはり、日本で自前のタイトルを作るしか道はなかったのです。そこで日本プロレスでは、力道山の死後封印していたインターナショナル王座を65年に復活させました。(ベルトはリニューアルされた)日本代表候補となったのは馬場でしたが、日プロでは馬場に誰もが納得するチャンピオンになってもらおうとハードルを課しました。

馬場はザ・デストロイヤー、アルバート・トーレス、ザ・スポイラー(ドン・ジャーデン)、ジ・アサシンズA(トーマス・リネストウ)らの世界の強豪と争覇戦を展開、これを撃破し見事、日本代表として、アメリカ代表である初来日の「生傷男」ディック・ザ・ブルーザーと王座決定戦を行うことになりました。このあたりのディテールは馬場が全日本プロレスを旗揚げしてからの世界ヘビー級(PWF)争奪10番勝負に受け継がれています。

王座決定戦は11月24日、大阪府立体育会館で行われ、1本目は17分59秒、2本目は5分31秒、馬場がいずれも反則勝ち。2−0とスコアの上ではストレート勝ちですが、屈辱の王座獲得となりました。

3日後の11月27日、舞台を東京に移して蔵前国技館での馬場の初防衛戦。1本目は7分50秒、馬場が片エビ固め、2本目は18分24秒にブルーザーが体固め、決勝の3本目は4分55秒、両者リングアウトとなり1−1で馬場が引き分けで辛うじて初防衛を果たしています。

【正解解説】この年の12月9日、新日本プロレス「闘魂シリーズ第2弾」最終戦、蔵前国技館で猪木との再戦が決定したウィリエム・ルスカ。

ルスカは初戦の2月6日、日本武道館での猪木戦の後、プロレスラーに転向し5月21日、新日本プロレスの提携先であるロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでのデニス・スタンプ戦でレスラーデビューを果たし、4分、スリーパー・ホールドで快勝。

しかし相手するプロレスラー達はシュートマッチばかりやりたがるルスカをやりづらいと対戦を嫌がるレスラーが続出。6月25日(日本時間26日)オリンピック・オーデトリアムでの猪木vsモハメド・アリ戦のクローズドサーキット(有料の衛生中継、今で言うライブビューイング)イベントでドン・ファーゴを10分24秒、スリーパー・ホールドで絞め落とした試合を最後にロスをリリースされてしまいました。

その後8月に新日本プロレスのブラジル遠征シリーズに参戦、8月7日リオデジャネイロ・マラカナスポーツセンターでイワン・ゴメスと壮絶な喧嘩マッチを行い、9分3秒、リングアウト勝ちしたものの、「あの試合はプロレスではない、喧嘩だ」としてリオデジャネイロの体育協会から出場停止処分を受け、その後予定されていたブラジリア、サンパウロの2大会には出られずにオランダに帰国していました。

流さんのコラムによると9月にはフロリダでカール・ゴッチ、パット・パターソンからプロレスの手解きを受けていたとのこと。

「闘魂シリーズ」終盤戦の10月6日、大阪府立体育会館と7日蔵前国技館に急遽参戦したルスカは大阪では木戸修を3分45秒、スリーパー・ホールドで一蹴、蔵前では永源遙、荒川誠(真、ドン)、栗栖正信(正伸)を相手に柔道3人掛けを行い3人を問題とせずに快勝。

その後猪木との再戦が決定したルスカは当初は11月25日、鹿児島県立体育館から特別参加予定でしたが、予定よりも10日早い15日には来日。都内で自主トレーニングを開始し18日、高石市大阪臨海スポーツセンター大会に姿を現しました。

高石大会の試合前にルスカと、坂口征二の南アフリカ遠征でトレーナーとして帯同していたカール・ゴッチが姿を現し会見を行っています。

ゴッチは「ルスカから猪木に勝つ為にコーチをして欲しいと依頼を受けた。ルスカの勝利に賭ける執念に心を動かされた。猪木に勝つ為の秘策を授ける」と、猪木の師匠でありながら猪木の反対側コーナーに立つ決意を表明、集まったマスコミとファンを驚かせています。

そして、「闘魂シリーズ第2弾」に来日していたゴッチの信頼が厚いリッキー・ハンターを交えて、ルスカがショートタイツにリングシューズを履き、ゴッチと一緒にリング上でプロレスの特訓をしている写真が11月26日付(25日発行)の「東京スポーツ」に掲載されました。

ただし、リングでルスカとゴッチが組み合ってそれをハンターが見ている写真のキャプションには日付、会場は書いておらず、私もこの東スポのスクラップブックを所持していますが、本文記事から類推したのと、写真のリング下に撮影用のテレビカメラが見えるところから、テレビ生中継のあった11月19日、寝屋川市民体育館の可能性は高く、24日の出来事ではないことは明らかです。

※対戦成績は213戦39勝174敗、勝率183。 
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