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2022年06月05日11:39

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ストロング小林さん追悼(149)

「別冊ゴング」75年7月号はストロング小林の新日本プロレス入団に関しては概ね好意的かつ前向きな入団として報じています。

では、ライバル誌であり当時、猪木嫌いとして知られた筑波大学教授・森岡理右が編集顧問をしており「全日本プロレス寄りの編集方針」と言われていた老舗のベースボール・マガジン社「月刊プロレス」はどのように書いていたか?同誌75年7月号から引用してみたいと思います。

ちなみに両誌は同じ75年6月15日に発売されていますが「別冊ゴング」の表紙が猪木のアップとNWF世界ヘビー級王座ベルトを締めたタイガー・ジェット・シンで、「月刊プロレス」は7月の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」終盤戦に特別参加する「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック。

新日本プロレスの新間寿営業本部長が「月刊プロレス」の1年分位を持ってベースボール・マガジン社に殴り込み、「何ですかこの表紙は、ほとんど全日本プロレスばかり、うちの猪木を何故表紙にしないんですか!うちの扱いが小さすぎる!」と編集部に抗議したというのはおそらくこの前後の時期の話でしょう。

「月刊プロレス」75年7月号は1ページ記事で「四度敗れて知る猪木の強さ、前言ひるがえして新日本入りしたS小林」という見出し。4回負けたのではなく、正確には3回負けて1回は引き分けなのですが、そのあたりは書いた記者の勘違いか主観によるものと考えます。

(以下本文)昨年(1974年)3月、12月、さらに今年に入ってワールド・リーグ戦で猪木と2回対戦。対戦成績3敗1分で、猪木の壁を破れなかった“一匹狼“のストロング小林はさる5月30日、正式に新日本プロレスに加盟。猪木の軍門に降った。

昨年1月(実際は2月)、突如として国際プロレスを脱退。フリー宣言をして、ファンをアッと言わせた小林であった。小林はすぐさま馬場、猪木に対して内容証明付きの挑戦状を叩きつけたのである。

一匹狼となった小林が第一に取った道が日本の二大巨砲ヘのアタックであったことは、男の心意気を示すには十分であった。

ところが馬場は「闘う必要はない」として小林を無視。一方の猪木は「挑戦されれば、誰の挑戦でも受けて立つ。それがチャンピオンの義務だ」として、小林の申し入れを受諾した。

この一戦の結果は周知のごとく猪木の勝利に終わった。「猪木さんを倒すことがレスラー・小林としての最大の目標。そのために単身、アメリカに渡って修行してくる。」と小林は4月末、修行の旅に出た。そうして本場の檜舞台MSGにも登場し、ラフファイトも身につけた。

11月24日、7か月ぶりに日本の土を踏んだ小林は再度、猪木に挑戦。調印式の席上で、猪木の顔面を殴打するなど、変貌ぶりを見せつけたが、決戦では小林は卍固めの前にまたしても涙を飲んだ。

「俺はギブアップした覚えはない。卍固めを耐えるだけ耐え、クリアーしてやろうと思っていたのに…」と、小林は敗北を認めなかった。

控室で小林は「この結果によって新日プロに加盟することはありえない。私の目標はあくまで打倒・猪木であり、ニューヨークのビンス・マクマホン(シニア)も帰ってこい、と言っているので、もう一度アメリカに行くことになるかも知れないし、外部にあって、いつでも猪木さんに挑戦できる態勢を整えておく。」とキッパリと新日本プロ入りを否定した。

ところが、年が明けた昭和50年1月。新日プロの新春黄金シリーズに特別参加した。

「参加したと言っても、あくまで部外者であり、猪木さんと行動をともにし、日常生活、レスリングセンスを徹底的に研究する。その為にこそ、少しでも近くにいた方が有利だと考えたんです。もし猪木さんが受けてさえくれさえすればすぐにでも挑戦したい。」小林は新日プロ入りについてこう語っていた。

遠くアメリカに渡っていては、挑戦のチャンスをつぶすことも考えられる。それなら日本にいた方がいい、といって実戦を積んでいかなければイザという時に感が鈍ることもある。だから特別参加という形で新日プロヘ。こう小林は考えたのだろう。

そして、4月開幕のワールド・リーグ戦に小林は参加を申し入れた。総当たりリーグ戦。嫌でも猪木と顔を合わせる。小林の胸は躍った。「今度こそ猪木さんを倒して、男の意地を貫いてみせる。」

オープニング・ゲームで坂口と引き分けた小林は波に乗った。5月3日、小倉で大木を撃破すると残った相手は猪木だけ。3度目の対決は5月6日、広島県立体育館で行われた。

大木、クラップに敗れ優勝戦線から脱落しそうな猪木は小林を相手に立ち上がりから鋭い攻めを見せる。小林も一歩もあとに引かず、場外戦の末両者リングアウト。(試合は29分32秒、両者リングアウトの裁定が下るも両選手の希望により制限時間の残り28秒、再試合を行って時間切れ引き分けとなっているが本文では触れられず。)小林は3回目にして、初めて互角の勝負をしたわけだ。

ところが、決勝戦第1試合で、小林は猪木のブレーンバスター連発からグラウンド卍固めでまたしても敗れた。四度び敗れて小林は初めて猪木の強さにはまだ及ばぬと悟ったのだろうか…。特別参加という「お客」から猪木の身内の一人となったのである。

■一匹狼ではいられぬマット界

やっと近づいたと思った瞬間に引き離される実力の差。猪木の底しれぬ闘魂と偉大さを肌で直接味あわされた小林である。

そのためか、(5月)30日、後楽園ホールで行われた記者会見、小林は意外とサバサバしていた。「猪木さんの強さには完全に負けた。それに坂口さんを初めとする新日プロのムード、練習量の豊富さ。さらには、その情熱にうたれ、新日プロ入りを決意しました。」という小林。

だからといって、打倒・猪木の夢を捨てた訳ではない。「また来年、ワールド・リーグ戦もあるし、自分のレスリングを向上させる為にも打倒・猪木を目指す。」という。

チャンスさえあれば、いつでも名乗りを上げる気構えの小林が加盟したことにより、また一層、持ち駒の層が厚くなった新日プロだ。

しかしながら、一匹狼が日本マット界の現状では、独立独歩で生きていけないことを示した例でもあろう。(この項了)

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