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2022年01月21日05:45

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ストロング小林さん追悼(15)

68年国際プロレス夏の陣第2弾「ワールド・サマー・シリーズ」後半戦、8月24日、福岡九電記念体育館大会のテレビ収録マッチは国際プロレス始まって以来の8,000人、超満員の観客を発表しています。4,500人前後のキャパの九電記念体育館に8,000人は水増しもいいところですが、8月3日に興行戦争をぶつけられた日本プロレスの横浜市蒔田公園球場の7,000人を意識した数字と言えるでしょう。

メインイベントは豊登&サンダー杉山組のTWWA世界タッグ王座にプリンス・クマリ&ワイルド・アンガス組が挑戦。1本目は13分34秒、杉山がアンガスを体固め、2本目は5分50秒、豊登がクマリを逆片エビ固めでギブアップさせ、2−0のストレート勝ちで豊登&杉山組が14度目のタイトル防衛に成功しています。

先の「ビッグ・サマー・シリーズ」でもそうですが、国際プロレス唯一の世界ベルト、TWWA世界タッグ王座のタイトルマッチ開催がこのシリーズ、もっと言えば8月6日から24日までの3週間足らずの期間に4回の開催は乱発であり、「タイトル戦の価値」を問われるものだと思います。

セミファイナルはグレート草津が田中忠治と組んでイアン・キャンベル&ブル・デービス組と45分3本勝負で対戦、1本目は13分11秒、キャンベルが田中を逆片エビ固め、2本目は11分11秒、田中がデービスを体固め、決勝の3本目は7分18秒、草津が足4の字固めでキャンベルをギブアップさせて2−1で勝ちました。

草津はこの時期から日本人選手では使い手がいなかった足4の字固めをフィニッシュとして多用、身体が硬く、綺麗な反りが出来ない為、バックドロップホールド気味となっていた原爆固め(写真でしかわかりませんが、とてもジャーマン・スープレックスと呼べるシロモノではない)は封印したようです。

小林省三はホワン・ラマスとシングルマッチで対戦、12分17秒に体固めでフォール勝ち。ラマスは一度しか来日しなかったメキシコ人の中堅レスラーですが久しぶりに外国人選手にスッキリ勝ったような気がします。

前回書いた8月16日の大分県営体育館(観衆6,500人超満員発表)と福岡は日本テレビのキー局がなく、この年に日本テレビ系列の福岡放送が開局し「日本プロレス中継」が放送されるようになりましたが、1月から全国ネットで放送していたTBSの独壇場と言えました。テレビが最大の営業手段だった訳です。

さて、小林は軽量級の田中忠治よりも下にランクされてしまっていました。田中は42年間山口県防府市出身、日本プロレス入門は57年と馬場、猪木、大木金太郎より先輩に当たり、豊登の1の子分格。何度か豊登と共に失踪したことがあり、力道山存命中は、力道山が豊登を可愛がっていた事から豊登に免じてお咎めなしで来ましたが、ポジションは前座のままでした。

65年暮れ、豊登が会社の資金をギャンブルで使い込んだとして公金横領で日本プロレス社長の座を追われた時に豊登と一緒に東京プロレスへ参戦、東京プロレスが自主興行を開催する力がなくなり、合同興行で旗揚げした豊登と共に国際プロレスに移籍。

外国人選手が小柄な欧州勢中心になってから頭角を現し、メインイベント、セミファイナルへの出場が多くなりました。私は実際に田中の試合を生で観たことはないのですが、寺西勇が田中のポジションに入ったと言っていいでしょう。豊登、草津、杉山らのエース陣を引き立てる役割を担っていました。デビュー以来連戦連勝で早くから将来を嘱望されていた小林とは国際プロレスにおけるスタートは違いましたが、ベテラン田中が小林を抜いた時期にあたります。

9月1日、名古屋市中川区新町近江絹糸(オーミケンシ)広場特設リング(観衆3,000人発表)ではセミファイナルで田中とアンガスの45分3本勝負が組まれました。1本目は11分43秒に田中が腕固め、2本目は2分10秒、アンガスが体固め、決勝の3本目は1分40秒、田中が逆さ押さえ込みで取り、2−1で田中が2フォール奪って勝っています。

初来日とは言え、メインクラスで闘ってきたアンガスに田中が返し技はあったにせよ勝利。

翌9月2日、名古屋市守山区守山公会堂(観衆1,800人発表)では小林がアンガスと30分1本勝負で対戦、僅か3分30秒で小林がフォール負けを喫しています。

9月10日、浅草公会堂(テレビ収録、観衆1,200人発表)大会、金網デスマッチ、チェーンデスマッチ、メキシカン・キャプテンフォールマッチなど様々な試合方法のパイオニアとして知られている国際プロレスですがこの日は8人タッグマッチが行われました。

既に8月25日、姫路市厚生会館(観衆2,300人発表)で豊登&草津&杉山&田中組vsクマリ&アンガス&キャンベル&デービス組による8人タッグマッチが一度行われ、2−1で日本組が勝っていますが、この時が日本初の8人タッグマッチでした。

浅草大会では伏線があり、セミファイナルで行われた田中&寺西組vsデービス&ラマス組が1−1から両チームリングアウトの引き分けとなり、この試合で田中とデービスの間に遺恨生じ、収まりがつかない両者がメインイベントで決着をつけようと、メインイベントに予定されていた豊登&草津&杉山組とクマリ&アンガス&キャンベル組の6人タッグマッチに田中とデービスが加わってのカード変更となりました。

1本目は11分45秒、豊登がキャンベルを逆片エビ固め、2本目は4分46秒、アンガスが田中を体固め、決勝の3本目は12分8秒、田中がアンガスを体固めで破り2−1で豊登&草津&杉山&田中組が勝ちましたが、結果として8人タッグマッチは当時は日本には馴染まず。

当時は日本人対外国人の対戦が主軸であり、チームに「負け役」が入るから地方巡業向けの試合形式だとともすれば手抜きマッチメイクと捉えるファンもいて、6人タッグマッチさえ歓迎されずでしたので時期尚早でした。

6人タッグマッチがメインで観客を喜ばせることが出来るようになるのは皮肉にも81年に国際プロレスが崩壊してラッシャー木村、アニマル浜口、寺西の国際軍団が新日本プロレスのリングに乗りこみ、その後83年初頭から反逆した長州力がマサ齋藤、キラー・カーンらと革命軍を結成する「日本人同士による軍団抗争」がマッチメイクの中心になってからです。

この日小林は第4試合井上円蔵(マイティ)とシングルマッチで対戦し17分11秒、体固めでフォール勝ちをしています。

シリーズ最終戦、9月11日、横浜スカイホール(テレビ収録、観衆1,400人発表)大会、メインイベントは英国西部ヘビー級王者、草津と英国南部ヘビー級王者、デービスによるダブル・タイトルマッチが行われ、1本目は8分22秒に、2本目は11分6秒に草津がいずれも足4の字固めでデービスをギブアップさせ、2−0のストレート勝ちで英国西部王座を5度目の防衛を果たすと同時に英国南部王座を獲得、英国二冠王となっています。

3本勝負の2本を足4の字固めで取ってしまうというのも草津のセンスのなさをよく現しており、グッドアスリートではありますがプロレス頭は決して良くないことを露呈してしまった感はあります。

また、デービスの英国南部ヘビー級王座というのも唐突に出てきたタイトルで、デービスは先の「ビッグ・サマー・シリーズ」からの残留組で約3か月近く国際プロレスのリングで試合をしていながら1度も防衛戦をやっておらず、草津の英国西部と同様に急造タイトルだったと思われます。

この日小林はセミファイナルに出場、豊登&杉山とのトリオでクマリ&キャンベル&ラマス組と対戦、1本目は11分7秒、小林がラマスを首固め、2本目は8分12秒、杉山がキャンベルを体固めに決めて2−0のストレート勝ちを収めました。
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