85年「IWGPタッグ・リーグ戦」を終えた猪木は海外遠征に出発。先ず12月18日、ハワイ・ホノルル・NBCアリーナでのリア・メイビア未亡人派の興行に出場、前84年12月6日、広島県立体育館で一度だけタッグを組んだ宿敵アンドレ・ザ・ジャイアント(前回はストロング・マシン1&2号を破る)と2度目のタッグを結成。
デイブ&ジョエルのディートン・ブラザーズと対戦しています。日本でのギクシャクとしたタッグワークとはうって変わり、アメリカではベビーフェイスのアンドレとの連携も順調で6分38秒、猪木がデイブを体固めに決めて猪木&アンドレ組が勝利を飾りました。
ディートン・ブラザーズの弟、ジョエルは87年8月に全日本プロレスに来日し、以後レギュラー参戦し、91年7月にビリー・ブラックとのタッグでアジア・タッグ王座を奪取、悪役商会の一員としても活躍した「いい奴」ジョー・ディートンでした。
62歳となったディートンは今年19年2月19日、両国国技館で行われた馬場没後20年記念追悼興行、「王者の魂」に久しぶりに来日して元気な姿を見せてくれました。
兄のデイブはデビッド・ディートンのリングネームで知られましたが88年10月の「ジャイアント・シリーズ」に一度だけホス・ディートンのリングネームで来日、ディートン・ブラザーズが日本でも実現していますが、ホスは馬場の評価は低かったか、来日は1度だけでした。
12月25日には新しく提携した「鉄の爪王国」テキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリック主宰のワールドクラス・レスリングの年末のビッグマッチ、リユニオンアリーナ大会に出場、翌86年2月に新日本プロレスヘ初来日が予定されていた(スケジュールの都合で来日キャンセル、同年7月に延期)未知の強豪、スティーブ・ウイリアムスとシングルマッチで対戦し16分10秒、延髄斬りからの体固めでフォール勝ちを収めました。
藤波はマスクド・ディモンなるマスクマンとシングルで対戦し、9分14秒、体固めで勝利を飾りました。
新日本プロレスにとって85年は前年のUWF、ジャパンプロレス勢による選手、フロント大量離脱が尾を引き、観客動員、テレビ視聴率ともに低迷、苦しい1年でした。
3月に超獣ブルーザー・ブロディを全日本プロレスから引き抜いて息を吹き返したかに見えましたが、短期間に猪木とのシングルマッチを6回(ハワイでの試合を含む)も組んで早くもマンネリ化。そのブロディにも年末に試合をボイコットされてしまいました。
また、8月にはスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、高野俊二の3人が新日本プロレスを去り、プロダクション「カルガリー・ハリケーンズ」を結成、戦力ダウンは否めず。ケンドー・ナガサキ、ミスター・ポーゴ、越中詩郎らのメンバーを集めて選手を補強しましたが、弱体ぶりを露呈。
外交面でもビンス・シニア時代から約12年続いたWWFとの業務提携は解消。交渉の窓口がビンスに代わってからの初年度の前年は年間50万ドルと言われているブッキング料を支払った新日本プロレスですが、流石に2年連続ビンスの言いなりにはなりませんでした。
坂口副社長がシリーズオフに渡米して新しい外国人選手ルートを開拓、エリック王国、オクラホマ、ルイジアナをテリトリーとするMSWA(後の米国版UWF)と提携開始、翌86年からは新日本プロレスとは縁が薄かったユニークな外国人メンバーが集まることになります。
ビンス・マクマホン率いるWWFはこの年の3月31日、ニューヨークMSGで初の「レッスルマニア」を開催、映画「ロッキー3」のクラバー・ラング役で知られたミスターT、「ハイスクールはダンステリア」のヒット曲で知られるロックミュージシャンのシンディ・ローパー、歌手のリベラッチ等の著名人を集めての興行を開催、プロレスのビジネスモデルを大きく変えるターニングポイントなりました。
7月にはテリー・ファンクがWWFに参戦、焼きごてを押しつけるヒールとしてハルク・ホーガンのライバルとなり活躍。テリーの兄、ドリー・ファンク・ジュニアもホス・ファンクとしてテリーに続きWWFに登場、翌86年にはハーリー・レイスが「ザ・キング」としてWWFに参戦、全米制圧は着々と進行しつつありました。
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