チャンピオン・カーニバルのシリーズ中ながら、馬場はタイガーマスクを連れてアメリカに遠征しています。(過去の「馬場抜きシリーズ」やNWA総会に出席の為の短期の遠征で国内の試合に出場しないのは「欠場」には該当しないと言うのが全日本プロレスの考え方)
シリーズの真っ只中であったにも関わらず今回馬場が遠征に出向いたのは、ビンス・マクマホン率いるWWFの全米制圧で窮地に立たされたNWAのジム・クロケット、AWAのバーン・ガニアをヘルプする為でした。
ビンスは84年2月10日、NWAの総本山と言われたミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムに侵攻したのを皮切りにNWA、AWAのメインテリトリーにて興行を開催、ケーブルテレビを使ってのプロモーション戦略で興行戦争を仕掛けて来ました。
同年7月にはジャックとジェリーのブリスコ兄弟が所有していたNWAジョージアの株式の過半数を買い占めて議決権を握り、85年には人気テリトリーであったカナダ・カルガリーのスチュ・ハートが主宰していたスタンビート・レスリングの株式を取得しました。
同時にNWA、AWAから数多くのレスラーを引き抜いています。
85年3月31日にニューヨークMSGで開催した一大ビッグショー「レッスルマニア」は映画「ロッキー3」で全米にその名が知られた俳優のミスターT、ロックシンガーのシンディ・ローパー、歌手のリベラッチらをプロレスのリングに上げてパフォーマンスさせる新しい試みでプロレスファンのみならず、一般層も巻き込んで超満員の観客を動員。PPVの売上も記録を達成しました。
この86年はビンスはレッスルマニア2を4月6日に3都市に分散させて開催、本拠地である東部地区ではニューヨーク州ユニオンディール・ロングアイランドのナッソー・コロシアム、西海岸地区では既にプロモーターを廃業していたマイク・ラーベルのテリトリーであったロサンゼルス・スポーツアリーナ。
そしてもう一つはAWAのメインテリトリーであるイリノイ州シカゴのローズモント・ホライズンで「祭典」を開催。目的は明らかにガニア潰しでした。
これに対しガニアは当時既に在米NWAプロモーターの中でも事実上「一強」となっていたジム・クロケットに協力を要請、4月19日にはクロケットプロ主催でルイジアナ州ニューオリンズのスーパードームで「ジム・クロケット・シニアメモリアルカップ争奪ワンデー・タッグトーナメント」を昼夜2興行で開催。
翌4月20日はAWA主催でミネソタ州ミネアポリスのメトロドームでのビッグショー「レッスルロック」が開催され、馬場とタイガーマスクは両方に出場しています。タイガーマスクは初のアメリカマットでの試合となりました。
19日のタッグトーナメントは馬場はタイガーマスクとのタッグで2回戦(夜の部)から出場。ジム・ガービン、ブラック・バート(リック・ハリスのリングネームで83年8月のスーパー・パワー・シリーズに初来日、バートでは87年1月の新日本プロレス、新春黄金シリーズに来日)組と対戦。7分55秒、馬場がバートを16文キックから体固めに決め、準々決勝に進出。
準々決勝ではクロケットの秘蔵っ子で次期NWA世界ヘビー級王者候補だった未来日のマグナムTA(テリー・アレン)、ロニー・ガービン組と対戦。9分58秒、マグナムがタイガーマスクのフライング・ボディアタックを切り返し手の体固めで勝利し馬場、タイガーマスク組は準々決勝で敗退。
全23チームが参加したタッグトーナメントの決勝はアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズとマグナム、ロニー組の対戦となり、9分28秒、アニマルがロニーをホークとのダブル・インパクトから体固めに決めて優勝。クロケットシニアメモリアルカップと優勝賞金10万ドルを獲得しています。
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