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2017年12月14日23:29

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(242)

オランダの国民的英雄、64年東京五輪銀メダリスト、アントン・ヘーシンクは母国オランダで柔道の普及につとめていましたが、73年、突如としてプロレス転向を表明。旗揚げして1周年の全日本プロレスに入団を果たしました。

最もこれは馬場の意図するところではなく、視聴率15%がノルマと言われ、なかなかそのラインに届かなかった日本テレビ主導でてこ入れの為に行われており、ザ・ビートルズの日本公演を実現させたキョードー東京の嵐田三郎社長が仲介して実現に至りました。

ヘーシンクは73年10月1日、来日してプロレス転向、全日本プロレス参戦を表明しており、世田谷区砧の道場でマシオ駒に簡単なプロレスの手解きを受け、マスコミ向けに駒をアルゼンチン・バックブリーカーに担ぎ上げるデモンストレーションを行っています。

ヘーシンクはテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクの許に預けられて基本的なプロレスの動きを体得して同年11月24日、蔵前国技館でデビュー戦を行っています。

メインイベントで馬場とのタッグでブルーノ・サンマルチノ、カリプス・ハリケーン(サイクロン・ニグロ)組と対戦。

1本目は日本組の反則勝ち、2本目はヘーシンクがハリケーンをアルゼンチン・バックブリーカーでギブアップさせて2-0のストレート勝ちをしていますが、やはり即席プロレスラーということで動きはぎこちなく、全国のテレビ視聴者と蔵前に詰めかけた8500人の観衆を満足させるには至らず。

この時ヘーシンクは上半身は裸で柔道着の下を履き裸足でファイトしていましたが、74年2月のエキサイト・シリーズに参加した時はアマレス流の吊りパン(ツーショルダータイプのショートタイツ)に白のリングシューズで登場、プロレスラーらしさを強調しましたが不評を買ってしまい、同年5月のMSGシリーズからは再び柔道着の下に戻しています。

やはり、長年の柔道家生活における摺り足は治らず、ロープワークもスムースさを欠き、試合の流れとは関係ない場面で片手を高く上げて手四つの攻防を求める等、対戦相手が試合を作るのに苦労していました。

フィニッシュは専らアルゼンチン・バックブリーカーと逆エビ固めで確かに説得力はありましたが対戦相手は「レスリングベア(プロレスの試合をするアトラクション用の熊)とやるみたいだ」とヘーシンクを酷評。

使い道をもて余した馬場はヘーシンクの得意分野を活かそうと「柔道ジャケットマッチ」を思いつき、74年6月13日、東京体育館でゴリラ・モンスーンとの試合を組みました。

試合はヘーシンクが袈裟固めで1本を奪い、優勢勝ちとなりました。この試合は日テレジータスのプロレスクラシックでも放送され視聴可能ですが観客が静まり返ってしまい興行的には失敗のようでした。
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