77年7月21日、仙台・宮城県スポーツセンターではストロング小林がタイガー・ジェット・シンの持つアジア・ヘビー級王座に挑戦。(60分3本勝負)
S小林にとっては新日本プロレスに移籍以降、フリー時代の猪木への2度のNWF世界ヘビー級王座挑戦を除けば所属となって初のシングルベルトへの挑戦となりました。
これまでの内容からしてS小林の惨敗が予想されましたがこのシリーズのS小林は好調そのものでパワーでシンを圧倒。
1本目は13分52秒、両者リングアウト。2本目、シンを鉄柱攻撃で流血させるとコーナーに逆さ吊りにしてストンピングの嵐。
静止に入った高橋レフェリーを突き飛ばして3分33秒、S小林の反則負け。反則負けのゴングが鳴った後もシンをブレーンバスターで叩き付けて内容では圧勝。
今までの鬱憤をぶつけるかのような豪快な暴れっぷりを見せています。新日本プロレス入団以来、外様で国際プロレス出身ということもありマッチメークで冷遇され続けてきただけに私自身も大変嬉しかったです。
セミファイナルでは猪木、坂口組の黄金コンビがエル・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン組と対戦し坂口がアトミック・ドロップでゴリアスからフォール勝ち。
7月25日、岩沼市ショッパーズ駐車場特設リングを最後に猪木が「謎の失踪」ということでシリーズを欠場。実際は8月2日、日本武道館でのザ・モンスターマン戦における特訓の為でした。
7月28日、福岡九電記念体育館ではシン、上田馬之助組の北米タッグ選手権に坂口、S小林組が挑戦。
この試合、当初王者組であるシン、上田組は7月15日の札幌中島スポーツセンターで獲得したアジア・タッグ王座も賭ける、と豪語し実際にタッグ2冠戦と一度は発表されましたが直前になって北米のみのタイトル戦になっています。
S小林の絶好調ぶりは続き、1本目、国際プロレスのIWA世界ヘビー級王者時代にここ一番という時に使っていたバックドロップでシンから嬉しい初の3カウントを奪っています。(9分58秒、体固め)
おそらく猪木が巡業に同行していたらなかった勝利だと思われます。
2本目は6分45秒、シンがコブラクローでS小林を体固め。
3本目は上田の凶器を奪った坂口が凶器で上田の喉を一撃、すかさずカバーに入り3分8秒、体固め。
坂口、S小林組が王座奪還に成功。シン、上田組から2本フォール勝ちしての完勝で半年前の1月14日、同所で行われた同じカードでのノーコンテスト、2月2日、大阪府立体育会館での惨敗の借りをようやく返しました。
セミファイナルでは長州とマサ齋藤が初のシングルマッチを行いました。(60分1本勝負)
5年後の82年10月、メキシコ遠征から帰国した長州は藤波に反旗を翻しましたが、その時長州はM齋藤を「心の師」としてM齋藤が仕事をしていたWWFを訪ね協力を依頼。
以後は革命軍→維新軍→ジャパンプロレス→再び新日本と協力関係を構築していきました。
アマレス五輪代表同士の攻防はレスリングのレベルの高さを見せつけましたが、M齋藤の放ったバックドロップを長州がコーナーマットを蹴ってそのまま倒れたM齋藤の上になってカウント3が入り12分35秒、体固めで長州がM齋藤から金星を挙げています。
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