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2017年04月05日18:52

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猪木とビンス(419)

新日本プロレスがストロング・マシンズの増殖などと言う子供騙しのギミックに頼らざるを得ない状況に陥っている一方で、長州力以下ジャパンプロレス勢がシリーズ本格参戦を果たした馬場の全日本プロレスは85年1月2日、後楽園ホールより「激突!オールスター・ウォーズ」が開幕。

2日から4日まで後楽園ホール3連戦が行われています。2、3の両日は恒例の昼興行として定着していますが、4日の仕事始め(金曜日)にも夜、ジャパンプロレスへの売り興行として開催され、団体始まって以来初の3連戦となりました。

試合の詳細などは別連載「ジャンボ鶴田怪物伝説」で後に時系列で詳しく書いていこうと思いますが、今回は人材不足に悩まされる新日本プロレスとの「対比」ということでそのメンバーの差を検証していきたいと思います。

85年1月2日の開幕戦に出場した選手の中で、1年前の84年1月1日、新日本プロレスの後楽園ホール大会新春黄金シリーズ開幕戦に出場、あるいは新日本に在籍、来日していた選手は以下の通りです。

長州力、谷津嘉章、アニマル浜口、小林邦昭、寺西勇、永源遥、栗栖正伸、保永昇男、新倉史裕、ラッシャー木村、剛竜馬、ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスの13選手が試合に出場。(83年1月に新日本を退団し、一度は佐川急便のドライバーとなるも再入団した仲野信市は84年3月2日、綾瀬市体育館で再デビュー、笹崎伸司は同年8月31日、南足柄市総合体育館でデビューした為1月時点では試合していない。)

さらにアメリカを拠点としていたキラー・カーン(84年は1回も新日本では試合をしていない)、メキシコ在住で84年4月にはUWFへ移籍するグラン浜田も1月2日、全日本後楽園に出場。(マサ齋藤はシリーズ中盤から参戦)

外国人のエース格には新日本より移籍のタイガー・ジェット・シンがおり、新間寿の新日本在籍時には新日本と親密な関係にあったUWAから新日本に参戦経験のあるペーロ・アグアヨ、ブラソ・デ・オロとブラソ・デ・プラタのロス・ブラソスが全日本に登場。中身は違えどタイガーマスクと試合をしており、一瞬どこのリングか錯覚を覚える位、新日本プロレス色の強いメンバーで埋め尽くされています。

保守本流の全日本プロレスですが、この年は長年ファンに親しまれていた「新春ジャイアント・シリーズ」のシリーズ名をも変更。(74年は新春NWAシリーズ&NWAチャンピオン・シリーズ、75年は新春シリーズの名称を使用。)

全日本はこの年、世界最強タッグ決定リーグ戦以外の全てのシリーズ名を変更しました。(チャンピオン・カーニバルは10月にワールド・チャンピオン・カーニバルの名称で開催。)

営業のプロ、大塚直樹ジャパンプロレス社長が馬場のブレーンについたことで、大会場での興行も頻繁に行われています。

1月6日大阪府立体育会館、2月1日には、74年から連続開催されている新日本恒例の札幌中島体育センターの雪祭り興行(75年は開催なし、77年は3月24日に開催、78、80年は2日連続開催)も全日本が「横取り」。

(全日本の札幌雪祭り興行はジャパン提携時代の87年まで3年連続開催、ジャパンが撤退した翌年の88年から新日本が開催。2月10日に東京ドーム大会を開催した90年を除いて連続開催され、99年の中島体育センター閉館後は月寒グリーンドーム、北海道立総合体育センター(北海きたえーる)に場所を変えて05年まで開催された。ユークス体制になった06年からは開催が途絶えたが今17年2月5日、12年ぶりに北海きたえーる大会が行われた。)

シリーズ最終戦は2月5日、東京体育館で行われ、スタン・ハンセンが新日本から移籍して来た最初のシリーズに東京体育館(82年2月4日)以来、3年ぶりに新春シリーズの最終戦を開催の運びとなりました。

ハンセンが移籍して来ても全体がその流れには乗りきれず、1年後の83年には後楽園ホールで最終戦を行ったのが実情でしたが、新日本プロレスの内部分裂がもたらした恩恵を受けた馬場、全日本が前年までは4対6、あるいは3対7位のパワーバランスで不利だったのに対し、この年は7対3、7.5対2.5位まで逆転しました。
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