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2016年10月11日19:50

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猪木とビンス(374)

84年ブラディ・ファイト・シリーズ前半戦特別参加のボブ・バックランドは前83年12月26日、ニューヨークMSGでアイアン・シークのキャメルクラッチにTKO負けを喫し、WWFヘビー級王座から転落してからは初めての来日。

82年8月5日、蔵前国技館にワンマッチ参戦し藤波の挑戦を回転足折り固めで退けて王座を防衛して以来、実に2年ぶりの来日となりました。

83年は1度も来日がなく、バックランドは「ビンスにスケジュールをコントロールされていた為日本に来る機会がなかった。」と来日の際にコメントしており、ビンスの扱いに対して不満があったようです。

中盤戦1週間のみの特別参加であるアブドーラ・ザ・ブッチャーは1月の新春黄金シリーズ以来9か月ぶりの来日でした。

前回は猪木とのシングル戦も組まれず、バッドニュース・アレンとの黒い軍団が仲間割れしましたが今回はアレンの来日はなく、テーマなき参戦となりました。

全日本から新日本へ行ったブッチャーと新日本から全日本へ行ったタイガー・ジェット・シンはよくどちらも駄目だった的な評価を受けがちです。シンも精彩を欠いていたのは事実でしたが、馬場はシンにはリング上のマッチメークはともかく、プロモーターとしては誠実に対応したと思います。

ブッチャーは移籍した81年は半年で1特別興行、2シリーズ9週間、翌82年は3シリーズ13週間に亘って呼ばれていますが83年は1シリーズ3週間のみ。

この年も2シリーズ5週間と一気に来日回数が目減り。

シンはそういうことはなく、81年から90年5月のスーパー・パワー・シリーズまで毎年コンスタントに呼ばれました。

90年にシンが新日本へUターン、アンドレ・ザ・ジャイアントがWWFの契約切れを機に全日本行きを希望した時は馬場社長と坂口社長の引き抜き防止協定により、シンとアンドレを「貸出」という名目で円満トレードしており、双方で「覚書」を交わしています。

リング外ではクレバーなビジネスマンであったシンは輪島の引き立て役や87年に全日本復帰したブッチャーのパートナーも文句を言わずこなし、全日本で稼いだファイトマネーを貿易ビジネスに投資し成功しました。

馬場はシンに決められたギャランティをきちんと払い続けたと思います。

結果的に移籍で最も割りを食ったのは一番最初に動いたブッチャーと85年に新日本へ行ったブルーザー・ブロディの2人でしょう。(ブロディの場合は本人の素行にも問題があったかと思いますが)

グレッグ・バレンタインも当時はWWFのトップであり、82年7月のサマー・ファイト・シリーズ以来2年1か月ぶりの来日で、来日前の猪木が出場した7月23日のMSGではハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦したばかりであり、グレッグを2週間超新日本に参加させるということは、まだまだ新日本とWWFの関係は良好かと思われました。

開幕戦の8月24日、後楽園ホール(テレビ生中継)は新日本プロレス興行への売り興行。

猪木は先のパキスタン遠征で足を負傷し欠場、放送席にゲスト解説として入りました。

放送が始まるや、アメフトのプロテクターの上から白いTシャツを着用したスキー帽を被った謎のマスクマンが登場。

マネージャーには国際プロレス崩壊後カナダに渡っていたショーグン・KYワカマツが着いてマイクで何やらアピールし放送席にいた猪木を挑発。

マスクマンはリング上から人形のようなものを投げ入れると入って来た若手をショルダータックルで次々と倒していきました。

発売されていた週刊プロレスに「新日本プロレスに『キン肉マン』が登場する!?」という記事が掲載されていた為、この日何かが起こるであろうことは予想されていましたが…。


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