前回書きました第3団体設立へ向けた動きの�´↓�について検証していきたいと思います。
�,任垢�、これは前年末に新間と佐山が2人で会談し、両者の間にあった誤解が解けたことからきた話でした。
新間は突如として引退発表し、自分のいないところでベルトを返上して新日本プロレスを去って行った佐山をクーデター派と見ていたのですが、実際佐山は社内クーデターには加わっていなかったことを本人の口から聞いたそうです。
その為第3団体設立には佐山というかタイガーマスクのネームバリューは絶対必要と考えました。梶原一騎の逮捕問題からタイガーマスクの名前を返上しなくてはなりませんでしたが佐山はザ・タイガーの新リングネームと新しいマスクとコスチュームを用意しており、おそらく話は実現の方向で進んでいたと思われます。
しかし佐山にはまだこの時点で2月にオープンしたタイガージム会長に就任していたショウジ・コンチャ(曽川庄司)がついていました。
コンチャはザ・タイガーを全日本プロレスに売り込みをかけました。馬場も一度は乗り気になったと言いますが、金額をふっかけて来たので馬場は断りました。
新間はコンチャのことを信用していませんでしたので佐山の第3団体参加はこの時点では見送られました。
�△鉢�、これが第3団体設立の最たる要因でした。
新日本プロレスの社内クーデターの原因となったのは猪木がブラジルで行っているリサイクル事業「アントンハイセル」を巡る新日本プロレスの運転資金流用疑惑でした。
猪木が実際に新日本プロレスの資産に手を付けたかどうかは、ブラジルでハイセル事業の実務に携わっていた実弟の啓介氏がきっぱりとこれを否定。
啓介氏は「新間さんや新間さんが募ってくれた出資者の皆さん、坂口さん、藤波さん達が個人で都合してくれましたが兄貴は新日本のお金に手を出してはいないですよ。」とコメントしています。
テレビ朝日から出向していた監査役もおり、そう簡単に猪木と言えど利益造反行為に該当するようなことは出来ないというのが一般的かと考えます。
支出ばかりのハイセル事業の為に猪木はまだまだ資金が必要であった。猪木個人と周囲からの資金調達も限界に来ていた。
そこで猪木が考えついたのがかつて(69年)の日本プロレスのような民放2局放映(日本テレビとNET)でした。
新日本プロレスだけではなく猪木個人ももちろんテレビ朝日と契約を結んでおり、猪木がフジテレビとも契約すれば放映権料以外に多額のギャランティも入って来る。
新間は猪木の密命を受けて第3団体設立に動いていました。逆に言えば猪木の命令以外で新間が動くこと自体、考えにくいと思われます。
フジテレビは長年、全日本女子プロレス中継を放送してきた実績があり、ビューティ・ペアブームの時には土日の90分枠の準レギュラー(不定期)以外に毎週金曜日午後7時から30分枠でレギュラー放送を行っていました。(後のクラッシュ・ギャルズブームの時も同様の形態が復活)
プロレスは数字の取れるコンテンツという認識も高く十分乗り気だったでしょう。
猪木が会っていたのはフジテレビの関係者と推測され、猪木がフジテレビに出るのであれば放送するという方向で話が進められていたかと思われます。
ビンス・シニアはこの時既に食道癌が転移しており第一線からは完全に退いていましたがもちろん病気は伏せられており新間が交渉の窓口となったのは前年からWWFの実権を握ったビンスで間違いないでしょう。
ビンスも全米制圧の為には大物レスラーをNWA、AWAから引き抜かなければこの戦争には勝てず、多額の資金を必要としており、新日本プロレスの他に、旧知の新間の第3団体が協力を要請してくれば選手をブッキングする用意はありました。
ここで猪木とビンスは利害が一致していた訳です。しかしビンスは昔気質の親父とは違い、一筋縄ではいかない人物で、そのしたたかさにおいては猪木、新間より遥かに上をいってました。
タイガーマスクが抜けたとは言え選手層が厚く、毎週テレビ朝日の正味45分ちょっとの放送時間ではテレビに出られない有能なレスラーを多数抱えていた当時の新日本プロレスであれば、団体を2分割したとしても十分やっていけたと考えます。
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