82年9月11日、後楽園ホールではスタン・ハンセンと翌年に引退を控えたテリー・ファンクがシングルで初の一騎討ち。
当日は関東地方に台風18号が接近、朝から雨風が強く吹き付ける中この一戦を見ようと多くの観客が会場に詰めかけ、館内は立錐の余地もないほどの超満員(3400人発表)のファンで膨れ上がりました。
後から入場してきたハンセンはいきなりテリーに向かって突進、これをかわしたテリーはパンチの連打。
ハンセンは力任せのボディスラムからニードロップ、テリーがバックドロップを見せれば、ハンセンはブレーンバスターで反撃。
テリーはハンセンをコーナーポストに投げつけようと対角線に振りましたが、これがレフェリーのジョー樋口とぶつかってしまいました。
ダウンする樋口、これを見たサブレフェリーのミスター林がリングに上がりましたが、ハンセンは林レフェリーをロープに振るとラリアット一閃。
林レフェリーはたまらず場外でダウン、リング上はレフェリーなき無法地帯になりました。これはメインレフェリーの樋口がダウンしたばかりであり、反則負けにはならないというハンセンの計算があったかと思われます。
そこへハンセンのセコンド、ロン・バスが乱入、バスは背後からテリーの身体をガッチリと押さえました。
ハンセンは助走をつけてのラリアット、防御出来なかったテリーにモロにヒットしテリーは完全に場外でダウン。
リングに上がって来た樋口レフェリーがカウントを数えますがラリアットのダメージが大きいテリーは起き上がれず、10分54秒、ハンセンのリングアウト勝ちとなりました。
テリーを救出に入って来た馬場、鶴田がレフェリーに抗議するも判定は覆らず。ハンセンがバスの乱入で勝利を掴みました。
セミファイナルでは馬場、鶴田組がザ・デストロイヤー、バス組と対戦し馬場がカウンターの16文キックからバスを片エビ固め。
9月14日、刈谷市体育館では馬場のPWFヘビー級王座にハンセンが挑戦、この年4度目のシングル対決となりました。
先に入場した挑戦者のハンセンは、後から入場してきたガウン姿の馬場を見るなり花道で奇襲攻撃。
早くも大荒れのスタートとなり、試合開始のゴングが鳴ってもハンセンはパンチ、キック、エルボー・ドロップのラッシュ。
馬場は防戦一方となりましたがヘッドロックを取りに来たハンセンを抱えるとバックドロップ。やや体勢は低く決まりました。
続いて16文キック2連発、攻勢に転じるかと思いましたがハンセンは下からショートレンジのラリアット。
これがアッパー気味にヒットし馬場はダウン。ダウンした馬場にハンセンはニードロップ、ストンピングの嵐。
馬場はロープにエスケープするもエキサイトしたハンセンはなおも馬場を攻撃。レフェリーの制止を振り切って攻め続けた為、僅か5分56秒ハンセンの反則負けとなり、馬場が15度目の防衛を果たしていますが、
ハンセンの攻撃によるダメージから馬場は控室でしばらくうずくまって立ち上がれず、内容的には完敗でした。
セミではテリー、鶴田、天龍組の師弟トリオが実現、クラッシャー・ブラックウェル、デストロイヤー、バス組と対戦。天龍がバスを回転エビ固めに降しています。
シリーズ終了後の9月26日、天龍源一郎(本名・嶋田源一郎、当時32歳)が2月より交際中だった武井まき代さん(当時25歳)と都内のホテルで結婚披露宴を行っています。
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