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2019年06月26日08:50

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慈覚大師(その22)

慈覚大師(その22)

第4章 中尊寺や毛越寺の知られざる部分(その3)
第1節 慈覚大師(円仁)と平泉(その3)
奥州藤原氏は初代が藤原清衡(きよひら)である。清衡の父は、前九年の役の最後の戦い、現盛岡市でおこなわれた「厨川柵の戦い」で敗れて処刑された藤原経清(つねきよ)である。経清安倍一族である。安倍一族は、前九年の役、後三年の役を通じて、源頼義や義家と戦い、多くの戦死者を出し地獄を味わったのである。奥州藤原氏の初代・藤原清衡(きよはら)はそれら戦死者の霊を慰め、且つ平和を願う心から中尊寺を再興したのである。この理想の世界が極楽浄土世界の建設であった。清衡(きよひら)は豊富な産金、漆、馬を活用し、中央文化だけではなく、中国文化も取り入れ、平泉文化の礎を築いたのである。
そして2代目・藤原基衡(もとひら)は毛越寺、観自在王院の建立に着手し、3代秀衡(ひでひら)は基衡の遺志を継いで毛越寺を完成し、さらに無量光院を建立したのである。こういった、奥州藤原氏の東北地方の平和を願う心がこれらの寺院にしみ込んでいる。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tyuukon.pdf

つまり、仏教思想の平和浄土のために建設されたのが平泉文化である。平泉文化こそ、これからの日本の文化、否、世界文明の骨格でなければならない。そういう文化の底流を流れる東北人の精神は、喜田貞吉(きださだきち)が言うように「至って義理堅いという武士道的な性格」でもあろうが、長髄彦、アテルイ、安倍氏、安東氏、奥州藤原氏などは、中沢新一が言う「東北」であり、「平和の民」と考えていいのではないか。
さて、そういう想いを持ちながら、是非、平泉の世界遺産を見ていただきたい。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/sub/sub16.html

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