玄奘とシルクロード(その1)
はじめに(その1)
まず最初に「中国と西域との往来」について述べよう。
中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、このルートが最も古いとみなされている交易路である。この地に住むスキタイや匈奴、突厥といった多くの遊牧民(騎馬民族)が、東西の文化交流の役割をも担った。
現在の中国国鉄集二線は、部分的にほぼこの道に沿っている。モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が同名の中露蒙経済回廊を提唱していることでも知られている。
その後、オアシスの道すなわち天山北路と天山南路が整備された。それ以降、中国と西域との交易はシルクロードが使われた。
ここに西域とは主として中央アジアを指すが、広義にはインドと中東を含む。
中国への仏教伝来は、シルクロードを通って行われたので、玄奘三蔵の意識としては、インドへ行くには当然シルクロードを行くことであった。
西安を起点とするシルクロードについての私の説明は次のとおりである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/seian.pdf
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