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2018年06月26日09:11

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リズム論(その14)

リズム論(その14)

第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その6)
第1節 場所性について(その6)
6.おわりに


 日本人は、中村雄二郎に言わせれば、「述語の世界」に生きているということだが、よく言われるように、日本人はあまり自己主張をしない民族である。これは何故か???
 岸本英夫によれば、それはどうも「自然環境に対する親近性」からくるらしい。彼は、『 日本の住民は、自然と協力していればよかった。自然に身をまかせていれば、生きることができた。したがって、自然に対して、おのずから親しさを感じた。自然の恩恵に対し て、感謝の態度を持つようになった。このようにして、自然に対する親近感が、基本的なパーソナリティ特性となったと考えられよう。』・・・と述べているが、 そうなのだ。日本人の自然観は、「人は自然の一部である」というものであり、自然と対立するものではない。自然はさまざまな姿を持つが、その森羅万象のす べてが親近感をもって心の奥に感じられる感覚、それが中沢新一のいうスピリットだと思うが、そういう日本人の感受性、それは日本人の自然観から来ている。 そういう感受性からは俺が俺がという自己主張は出てこない。 対立よりも協調。いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」することが大事なのであって、 そもそも日本語は主語がはっきりしな場合が多いのである。要は、日本人の感受性も問題である。


以上の岸本英夫の考えの他、私は、「風土」の作用というものを考えてみたい。「風土」にメディオンが作用すればどうなるかという問題である。オギュスタンベルクは、「歴史のおもむき」とか「自然のおもむき」と言っているが、日本の場合、「歴史のおもむき」や「自然のおもむき」の指し示すところによって、人びとは共生を志向し、場の雰囲気としては仲間を大事にするようになる。すなわち、人びとの主体性がなくなる。日本の場合、「風土」というものの働きの結果、脱主体化が起こるのである。何故日本の場合にこういうことが起こり、西欧では何故こういうことが起こらないか? それは、象徴的な場所の働きによるらしい。象徴的な場所の働きとは、歴史的に培われた人びとへの宗教感覚の刷り込み現象であるが、日本の場合、中沢新一のいうスピリットが関係している。


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