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2019年12月04日23:37

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映画日記 『戦艦大和』

2019年12月4日(水)

『戦艦大和』(1953年)
阿部豊:監督
日本映画専門チャンネル【録画】

小学生の低学年だったので1964〜5年の頃だろうか、学校から帰ってテレビを点けると、よく新東宝の映画が放映されていた。
今になっておもうと、1961年に倒産した新東宝が、フィルムをテレビ局に放出したのではないかと想像する。
けっこう、エロい映画も放送されていた。
なんというタイトルか分からないが、悪党組織に拉致された三ツ矢歌子が、スカートをめくられて品定めされるというシーンに出くわして、子どもごころに胸をときめかしたものだ。
そのほかに、いまでも覚えている映画がふたつある。
ひとつは、トラウマ映画になってしまった松林宗恵監督の『人間魚雷回天』(1955年)だ。
閉じたハッチを中から開けることができない状態で、敵艦に向かっていく若い特攻隊員たちを見ていて、息苦しくなる。
この映画のおかげで、閉所恐怖症になってしまった。
もう1本が『戦艦大和』だ。
こちらも戦争映画なのに、気分が沈んでしまうような映画だったと記憶している。
その『戦艦大和』を50数年ぶりに見なおした。

戦艦大和が米軍に囲まれた沖縄へ突入する海上特攻が決定してから、わずか1週間ほどのちに撃沈されるまでを描く。
読んだことはないが、戦争文学の名著とされる吉田満の「戦艦大和ノ最期」が原作。
駆逐艦や巡洋艦を引き連れて、大和が沖縄へ向かっていくシーンで、高らかに軍艦マーチが鳴り響く。勇ましいのはこのシーンだけ。
映画の大半が、艦内での兵士たちのやりとりだったが、でてくるエピソードが内省的なものだった。
「じつは女を知らないんだ」「俺だって」と会話を交わしていた青年が、次のシーンでは死んでいく。笑うに笑えない。
モノクロ撮影で暗めのシーンが多かったこともあり、まるでお通夜みたいな映画だった。
まあ、結果が分かっているので、いたしかたない。
その分、「天皇陛下万歳」と叫ぶような、ファナティックなシーンがほとんどなかったような気がする。

今から見ると、クライマックスの戦闘シーンが、どうしてもチープだ。
しかし、特撮好き私には見ごたえのあるシーンだった。

とはいえ、あらためて見ても気分が盛りあがるような映画ではなかった。


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