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2019年10月10日01:06

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総論24「水責戦法の真相」合戦考証84

○天正十年、備中の高松城に対して、秀吉がやったとされている「水攻め」です。

○まず問題となるのが「水攻め」の意味です。これを「城に攻撃を仕掛ける手段の一つ」と解釈するならば、具体的に「水を使うことで、どういう攻撃をすることになって、城が落ちるのか」を、説明できる人はいるのでしょうか?「流れ込んでくる水が、城の建っている台地を少しずつ削っていくことで、いずれ城は土台から崩壊してしまう」という「攻撃的な手段だ」と「想像してみる」くらいのことはできそうですが、そういう方法が物理的に、かつ建築学的に「実行可能」なのかどうかは、きちんと計算してみる必要があるでしょうね。高松城の周囲の地形を踏まえて、真剣に考察しない限り、ただの思いつき、机上の空論ですもんね。一般的に言われているのは「周囲を水浸しにする」という方法ですが、その場合、水攻めは「兵糧攻めの手段」でしかないわけです。ところが前年の「鳥取城攻め」の場合、水攻めをせずとも「敵は干し殺しで落ちた」じゃないですか?

○「秀吉の考えた画期的な城攻めの方法」と言われるわりに、特出した効果もないんです。そのうえ「歴史の結果」として言う限り、高松城は「水攻めで落ちたわけではない」ので、効果のほども不明なんです。これほど「あやふや」なものでもあるんです。そこで、発想を変えてみませんか?「同じ兵糧攻め」の鳥取城と比較しないで、別の事例と比較してみるんです。たとえば「家康の高天神城攻め」と比較してみれば、周囲が水浸しの高松城は「籠城態勢が限界にきたとき、覚悟を決めて、城の外に出て、敵に攻めかかる」という手段が取れないじゃないですか。「信長の神吉城攻め」と比較すれば、周囲が水浸しの高松城へ「仕寄を仕掛けて、一気に攻め落とす」ことができないじゃないですか。水攻めを仕掛けている羽柴軍は「じっと布陣しているだけ」ですし、水攻めを受けている高松城も「じっと籠城しているだけ」で、戦闘衝突が「互いに不可能」となりません?

○ここに気づきさえすれば、あとは話が簡単なんです。九年に秀吉は「鳥取城攻め」で、後巻きに出てくる毛利軍を待っていたんです。もちろん「毛利との全面決戦を決断した信長」の指令を受けて、決戦の「お膳立て」をするためです。そしたら「鳥取城の側に不備があって、後巻きの到着まで籠城が持たない」という結末ですもんね。信長は「大将首と引き換えの降参」を許しましたが、秀吉としては「面目が丸つぶれ」みたいなもの。無論のこと「秀吉に不備があった」わけではないので、信長は決して怒らないでしょうけど、秀吉のほうでは、この挽回をせざるをえないでしょうね。しかも東側では家康が「武田との全面決戦」のために動いていたわけです。八年末から九年にかけての「高天神城攻め」では、決戦ができずに終わってしまいましたが、十年の春に「武田の打倒」に成功したわけですよ。こうなった以上、秀吉は「何がなんでも毛利と決戦に持ち込む」ことを考えたのではないでしょうかね。そのためには、高松城に降参させないし、城から逃げることも許さず、とにかく毛利軍が来るまで「おとなしく籠城してろ!」

○城は力づくで攻め落とすのがあたりまえ、攻められた城は籠城して戦うのがあたりまえ。こういう考え方をしてきたから、秀吉が「水責めをやる意図」に気づかなかったわけです。それでいて、歴史学者や歴史家たちでも「水攻めとは、城攻めなのに、城には攻め込まないで、兵糧攻めにする例外」だってことが、わかるぐらいじゃないですか?「素人目」にもわかりやすいほど、あからさまな「兵糧攻め」をしているってことなんですよ?『信長公記』の著者「太田牛一」でさえも、信長の戦術や戦略を理解していないので、いろいろと勘違いした解釈を書いているありさまですが、そういう「当時の兵卒たち」であろうとも、高松城が受けている「状況の意味」は、きっと理解できたことでしょうね。だとすれば、これで後巻きに出なかったら「毛利の面目は丸つぶれになる」ってぐらいの状況でしょうね。だからこそ毛利軍は出てきたわけです、高松城の救援に。

○もちろん「これほどまでのこと」をやられた以上、織田軍が「全面的な決戦をしたがっている」ことぐらい、毛利輝元だって「百も承知」というものでしょうね。ところが、この状況下で「本能寺の変」なんです。よって「毛利軍と織田軍の高松決戦は起こらなかった」わけですよ。すなわち「史実にはない」ってこと。

○歴史学が「史実の研究」であるからには、史実にない合戦など「研究対象にならない」のが当然の話でしょう。歴史学者が史実にもないことを言い出したら、それこそ「歴史学を否定する行為」かもしれません。けれども「合戦」とは、実際には「なかった」ことも含まれるんです。信長は、事前に戦略構想と戦術想定を「考えていた」はずだし、対する輝元も同様に、戦略構想と戦術想定を「持った」うえで出陣しているはずなんです。無論のこと、合戦は「想定どおり」にはなりませんけども、だからって、事前に「何も考えない」ほうが正しいとでも?
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