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2019年06月28日07:39

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慈覚大師(その23)

慈覚大師(その23)

第4章 中尊寺や毛越寺の知られざる部分(その4)
第1節 慈覚大師(円仁)と平泉(その4)
中尊寺は、もともとの寺は850年に慈覚大師円仁が創建し、859年に清和天皇から中尊寺の号を得たと言われている。その後1105年に藤原清衡が堀河天皇の勅により再興した。 論文「邪馬台国と古代史の最新」の第8章第2節(3)で述べたように、 慈覚大師円仁が実際に東国巡錫したのは天長6年(829年)から9年(832年)のこととされているので、立石寺の場合と同じように、誰か弟子をして中尊寺の創建に着手させたのではないか。いずれにしろ立石寺も中尊寺も、おおむね860年頃に正式な寺院となったのではないかと思う。
平泉世界遺産の心髄は浄土思想にある。そして、浄土思想の源流に慈覚大師円仁がいる。

中尊寺を中心とした平泉世界遺産において、私が慈覚大師円仁にこだわるのは、毛越寺の常行堂に摩多羅神が存在するからだ。これは慈覚大師円仁の奥州藤原氏の平和主義に対する強い思いがないと平泉に摩多羅神なんてものが存在する訳がない。では、中尊寺に引き続き、毛越寺の常行堂にご案内したい。
http://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/20287208.html

さて、摩多羅神については、論文「邪馬台国と古代史の最新」の第8章第2節(5)に書いたように、摩多羅神は、「オソソの神」であり、諏訪の「ソソウ神」であるが、私は、その摩多羅神についてさらにいろいろと書いてきているので、ここで、それを是非紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyougyou.html
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/eros12.pdf

それでは、毛越寺で行われている摩多羅神祭を紹介しておこう。
http://www.youtube.com/watch?v=J096iXHBaEg

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