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2019年02月28日00:30

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合戦考証28「城乗り延期」島原の乱

○二十一日の未明に敵の夜襲。それの詳細報告を書き送ったのが二十三日。その間の二十二日に忠利は、別の手紙を書いていました。忠利の四日付「九一三番」に、忠興が返事を書いた十一日付「一五一二番」が届いたので、その返信を書いた「九一八番」です。内容が直接に関係する第三文と第六文だけを前回に出しましたが、忠興の「遠回しな表現」が意味するところには、忠利ですら気づかなかった模様です。しかし「忠興の指摘どおりのこと」が、現に起こってしまったわけですね。なぜ忠興が、そんなにも「遠回しな言い方をするのか」と言えば、忠利が独断でやっていることではなく、上使の命令もあって「やっていること」ですから、直接に批判すれば「上使の批判」になってしまうし、ひいては「上様への批判」になってしまうからでしょう。「忠利の個人的見解」についてなら、忠興も「ストレートに言う」んです。その点は「戦後の往復書簡」で顕著です。しかも「事後だから言えること」もあって、忠利の「城攻めの理解」の甘さを指摘する部分も多々あります。ここまでのところにも「戦国の経験者たる忠興」の的確な指摘があったわけですけどね。ともあれ、手紙の残りを見ておきましょう。

●忠利九一八「2月22日」前文〜第二文
前文「私の二月四日の手紙をご覧になったそうで、同月十一日の御手紙を頂戴しました」
「一つ、有馬左衛門佐の家来は、まだ今も城中へ矢文を、今日まで何度も何度も取り交わしておられます。また、双方の使者が、矢止めをしたうえで会ったこともありました。どういうことになっているのか、事情は存じません」
「一つ、唐の者の大鉄砲を撃つ場所として、寺沢兵庫の仕寄の前方に、ただいま穴を掘っております。いつごろ木鉄砲の実行を御命じになるのかは、存じません」

○「九一三番」に「軍使の談判」と「城の爆破計画」が書いてあって、忠興の返書でも触れていました。それに対する返事ですね。矢文を使ったのは「軍使の作法」を上使が知らないからなのか、それとも城内の者がわからない可能性があったのか、と私は前に書きましたけど、第一文の「矢止めをしたうえで会った」の記述を見ますと、どうやら「敵が攻撃しちゃうから」のようです。会うには矢止めの約束が必要。原文は「両方使矢留にて会談」です。新たな「爆破計画」に付いては、十六日付「九一五番」に書いたので、忠利も簡単に繰り返したのみ。

●忠利九一八「2月22日」第四文〜第五文
「一つ、城攻めのときは、浜手の番と、船手を命じた者に、さらに兵を加番させて、立孝と右馬助を二番手に置きます」
「一つ、思った以上に築山や井楼の台、ほかにも工事は多く、しかも塀際へ三間余りと寄せていますため、張番の先手組もくたびれておりますので、私の小姓衆にも、この四〜五日は先手番をさせました。城乗りの前に先手組を少しは休ませてやりたくて、そうしたのです。立孝も一度か二度は、先手番に兵を出しました」

○忠利の現地到着が一月二十六日で、それ以前から仕寄作業をしていた細川軍。もう「ひと月余り」も続いているわけですよ。工事もあるし、警備もあるし、みんな疲れてくるのも当然です。そういった「ようす」も素直に書いちゃう忠利。

●忠利九一八「2月22日」第七文〜追伸
「一つ、三ノ丸を御取りになりたいのが、上使衆の内意です。このごろ塀の近くに井楼を立てましたので、昨日も上使衆がおいでで、見せました。塀の裏にくっついて、四〜五間(およそ八メートル)の堀がございます。また、三間(五メートル半)ほど奥に堀をほっております。また、その少し奥に堀が見えました。今までは、塀の裏の堀で土を両側に高く積んでおりましたため、奥の堀は見えませんでしたが、井楼が近くなったので、今はよく見えております。その堀の中を、あちらこちらへ道を切って、通っているのです。そのうえ、その堀のまた裏に、土俵を積んで土手を入れ違いにしてあるのを、上使が御覧になって、いよいよ乗り込みとなった場合(これでは)兵を損じることになると、いろいろの話合い。上使衆と立飛州と私とで相談を致しております」
「一つ、いまだに井楼も築山も(そろって)できていません。また、仕寄も寄せていない者たちもおりますので、城乗りも少し延期になると見えます。江戸からたびたび(上様)御黒印でもって、一人の都合で物事を決めるのは堅く禁ずるとして、何もかも(任せるの)ではなく、命令書(にあること)は堅く命じているのです。全軍がそろうようにと御命令なのです」
「一つ、このほかには変わりもありません」
追伸「なおなお、江戸へ行く便がありましたので、ついでながら申しあげました」

○第八文の後半は、原文が「江戸より度々(上様)御黒印に、一人たち万事仕候事堅御法度にて候とて、何も何もより書物を堅御申付而御座候。万諸手揃候様に御申付候事」です。これをどう訳すかが問題でしてね。私は「権限の委任」を念頭に置いてますから、上記の逐語訳にしましたけど、『細川家史料』では、文中の「書物」を「一人で抜け駆けをしないように誓約させた起請文」としています。でも、それだと原文から「単語」が落ちてませんかねえ。私は疑問ですね。
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