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2017年01月04日14:20

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道祖神祭とは

道祖神祭とは


道祖神祭で立てたご神木は、道祖神とは言わない。道祖神祭で立てたご神木は、 神籬(ひもろぎ)であって、道祖神とは言わないのである。では、なぜ富士河口湖町の小正月の祭が道祖神祭と呼ばれているのか? 以下において、それを考えてみたい。

諏訪大社で、御柱(おんばしら)を切り出す祭りが「御柱祭」であり、伊勢神宮で心御柱(しんのみはしら)を立てる神事が「心御柱奉建祭」である。
すなわち、 御柱(おんばしら)を立てる場合であっても、しかるべき神事が当然行われるが、そのそれを道祖神祭とは言わないで、「御柱祭」と呼んでいる。私の考えでは、ご神木、つまり神籬のことであるが、神籬を立てるにあたって、あらかじめ道祖神を祀り、道祖神に対する祈りが捧げられば、その神事(かみごと)と神籬を立てることと「どんどん焼き」など祈りを込めた一連のイベントを「道祖神祭」と呼んで差し支えない。したがって、富士河口湖町の小正月に行われるイベントは「道祖神祭」と呼んでいいのである。諏訪大社の「御柱祭」は、その際に、道祖神を祀り、道祖神に対する祈りが捧げられるということがないので、当然、「道祖神祭」ではない。

富士河口湖町では、「道祖神祭」の際に行われる神事(かみごと)として、人々はこの丸石道祖神に祈りを捧げる。だから富士河口湖町の「道祖神祭」は、「道祖神祭」と呼ぶにふさわしい。では、野沢温泉村の場合はどうであろうか?

野沢温泉村の場合は富士河口湖町の場合と違って複雑であるので、それを説明するには、ご神木を立てるまでの作業と立てられたご神木の姿を説明しなければならないが、その説明は省略して、ここでは簡単な説明をしておこう。簡単に言えば、一般の人々はコケシ大の木像道祖神を家に祀っておいて、ある作法にしたがって新しい木像道祖と取り替えるのである。木像道祖神を家に祀ることが神事(かみごと)であるし、道祖神祭の際に行う作法が神事(かみごと)なのである。そういう神事(かみごと)があるから、小正月に行われる野沢温泉村の祭りは、道祖神祭と呼ぶにふさわしい。

道祖神祭と呼ぶにふさわしい祭りは、私の知る限り、全国的に富士河口湖町のものと野沢温泉村のものしかない。

では、野沢温泉村の「道祖神祭」において臨時にしつらえた社殿で繰り広げられる「どんどん焼き」をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=QHWgNBpfZfo

問題は、「なぜ、道祖神が左義長どんどん焼きと結びつくのか?」ということである。

炉は、ホトであるが、火の象徴でもある。したがって、道祖神と火(ホト=女性=地母神)は、対になって豊穣と誕生(子孫の繁栄=結婚、安産や子供の無事な成長)を司る繋ぎの神なのである。この場合の道祖神は、境の神という性格のものではなく、父なる天の神(石棒=柱=ご神木)である。

左義長どんどん焼きは、富士河口湖町や野沢温泉村などの場合と、「燃やす」という点で本質的に同じである。それは、境の神と違って、豊穣と誕生(子孫の繁栄=結婚、安産や子供の無事な成長)を祈るものである。

以上のことを詳しく縷々説明したのが次の論文である。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doumaturi.pdf
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