mixiユーザー(id:6810959)

2016年10月14日23:37

39 view

映画を見ない日の出来事 131

映画を見ない日の出来事 131

週刊新潮に続き、週刊アサヒ芸能も創刊60周年だった。
記念号となる「週刊アサヒ芸能創刊60周年記念号スクープ年代記」を購入。
昼休みに喫茶店でぱらぱらをめくってみた。

アサヒ芸能は山口組三代目・田岡組長への狙撃で始まった1978年の「大阪戦争」と、その3年後、1981年の田岡組長の死から始まる山口組のお家騒動の期間中、駅スタンドで買ったり、ずらりと週刊誌を揃えて置いてある喫茶店に入り浸って、ほとんど毎週読んでいた。
四代目・竹中組長の射殺と「山一戦争」を挟んで、五代目・渡辺組長の襲名によって事がようやく終息するのが1989年とあるから、人生の10年余りをアサヒ芸能と過ごしたことになる。
本誌を見て知ったのだが、この1989年というのは昭和64年だった。
つまり、『64』だ。
昭和天皇と美空ひばりが亡くなり、ベルリンの壁が撤去された年だった。

ヤクザ記事もさることながら、立ち読みしててこの記念号を買おうと思ったのは、斎藤龍鳳の名を目にしたから。
斎藤龍鳳(りゅうほう)は1971年に43歳で没した映画評論家。
彼が映画評論の傍ら、性風俗の突撃ルポを書いていたのは知ってたが、その売文先がアサヒ芸能だったらしい。
そのアサヒ芸能の人気連載ルポ「新日本 夜の五十三次」には、斎藤龍鳳だけでなく長部日出雄や石堂淑朗、小川徹といったメンバーも健筆をふるっていたという。
それも驚きだったが、一回だけのことだが、後にピュリツァー賞を受賞する戦場カメラマンの沢田教一も「新日本 夜の五十三次 番外サイゴン市」と題するルポを提供していたとあった。

男性週刊誌といえば、巻頭グラビアも外せない。
池内淳子や大原麗子や加賀まり子らにまじって、太地喜和子がバストトップもあらわにした1枚が載っていた。
写真のキャプションには“特出しストリッパーに扮した大地喜和子の舞台の撮影現場”とある。
ということは、太地喜和子唯一の主演作『喜劇 女の泣きどころ』(1974年)の撮影風景だろう。
彼女はストリッパー役を演じるにあたり、当時一条さゆりと並ぶ人気ストリッパーだった桐かおるの楽屋へ一升瓶を下げて訪れたという。
そんなエピソードを何かで読んだだけで、『喜劇 女の泣きどころ』がどんな映画なのか、まったく分からなかった。
本日、文字通り、その一端にふれることができた。



9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年10月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記

もっと見る