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2015年03月28日15:45

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大坂冬の陣の手紙史料「7月25日」

●細川忠興の手紙15ー1「銀子を届けさせるついでに書いた」「銀子を持たせて江戸へ行かせること、状況は右近、主水、十右衛門が伝えるだろう」「藤泉州に、このたびと、このあいだの銀子の礼状、書いて持たせたので、そのようにするように。また、上ヶ石のことも心遣いをくれたそうで、これも持たせておいた」

○忠興は江戸に送金するため、家来を行かせたので、そのついでに手紙を書いて持たせました。忠利は、藤堂高虎にもお金を借りていたようですね。その礼状も書いて持たせた、としています。高虎が心遣いをしてくれた「上ヶ石」というのは意味がわからないのですが、江戸城の石垣の、上層部に敷く化粧石のことでしょうかね。以前の手紙で忠興は、「高虎と疎遠になるな」と書いていましたが、とにかく藤堂家には、いろいろとお世話になっているようです。

●手紙15ー2「町人と、当家の加子が争ったそうだが、私はよく知らないことなので、いいように取り計らってもらいたい。特に、当家の加子の多くが処分を受けないように、よく考えて動いてもらいたいが、ただし、この手紙が届く以前に決着していることだろうと思っている」

○「加子」とは、船を漕ぐ者たちです。細川家の家来なのか、雇い人なのかは不明ですが、細川家の船の者たちが、おそらく江戸で、町人と争いになったというのです。このようすだと、喧嘩ざたでしょうね。なるべく多くの者が処分を受けないで済むように、忠利にうまくやってほしいと書いていますが、この手紙が届くのに半月以上もかかるのですから、忠興も「どうせ手紙が着くころには、すべて終わっているだろうな」と書き足しています。なお、この手紙は、「忠利の手紙に返事を書いたもの」ではなくて、「江戸へ行く者に便乗して書いたもの」なのですが、「江戸のようすを聞いた話」があるわけです。誰か、帰国してきた家来がいて、その者に話を聞いたのでしょうかね。

●手紙15ー3「仙兵太に手紙を送った。仙兵太から急ぎの用で、手紙がおまえのところに来たら、夜を日につぐほど急いで、こちらへ届けさせるように」「仙兵太を、大炊殿へ、おまえが引き合わせたそうで、いいことだ。それについては私からも手紙を書いておく」

○仙石忠政に手紙を出したそうです。何を書いて送ったのかは、わからないのですが、忠政から「急ぎの用」で、手紙が来るかもしれないというのです。「夜を日につぐ」という言葉は、「日中を走る時間では足りず、夜も続けて走るぐらいに大急ぎで」という意味です。それほど大事なことを言ってくるのであれば、やはり内容が気になるんですけどね。なお、この件もそうで、「江戸で忠利が、仙石忠政を土井利勝に引き合わせた」という「聞いた話」が出てきます。もしかすると、仙石忠政が手紙を送ってきて、これらの話が書いてあったのかも。

●手紙15ー4「大夫殿は乗物を使うことにしたそうだな。酒の飲みすぎというもので、笑止ってもんだと思うよ」「土井大炊殿は、駿河へ御使いに行かれたそうだな。おそらく、詳しいことはわからないだろうと思うが」

○「聞いた話」が続きます。「大夫殿」が誰かは不明。馬に乗らず、カゴに乗るようになったのは、「酒の飲みすぎだからだよ」と書いてあります。翻刻本の註では、羽柴左衛門大夫「福島正則」のことではないか、としてありますが、どうなんでしょうね。確かに福島正則は、晩年に酒浸りだったような伝承はありますけど、そういう「データの一致」よりも重視するべきなのは、「大夫殿」と書くだけで忠利にも通じるくらい、関係の近い人物だということのほうだと思いますけどね。福島家と細川家が、それほど親しいようには見えないのですが…。そのほかもう一つ「聞いた話」で、土井利勝が駿府へ行ったことが書かれています。将軍秀忠の老中としては、酒井忠世のほうが格上ですが、秀忠の側近としての立場で言えば、圧倒的に土井利勝のほうなのです。その利勝が、駿府の家康に会いにいったことを、忠興は気にしているみたいです。「なんの用事なのかは、さすがにわからないだろうな」という感じの言葉を書いています。
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