☆『疑惑の影』(Shadow of a Doubt 1943; アルフレッド・ヒッチコック)
*久しぶりの観賞。テレサ・ライトとジョゼフ・コットンが出ているけれど、この第二次大戦時に製作された作品、テレサは『我等の生涯の最良の年』より後かな前かな、となったり、コットンは『市民ケーン』(註1)より後だろうけれど『第三の男』より後かな前かな、となるも、よくよく思い出し考え『我等の生涯の最良の年』は第二次大戦終了後に復員した男たちのハナシであり、『第三の男』は第二次大戦終了後に米英露仏で4分割したベルリンが舞台であるわけであり、『疑惑の影』は当然にしてそれらの傑作群よりも前の傑作である、と理解する。
*間違えられた男/疑惑の男は、ヒッチコックを有名にさせたサイレント時代の傑作『下宿人』にも表されるように、ヒッチコックの18番。けっこう彼のテクストには頻繁に表される。『北北西に進路を取れ』のように別の人物と間違われて警察やギャングから追われているパターンもあったり、また、容疑者のパートナーである主人公は容疑者に対してその実体が分からないことにより不安や恐怖を抱くパターンもある。様々にパターンを変えながらも”容疑者”はヒッチコックのテクストに頻繁に表される。
*ふたりのチャーリーが表される。お嬢さんチャーリーはこのスモールタウンから出たい、ここは退屈よ、誰か私をここから救い出してもっと素敵な場所に連れていって、とシンデレラ願望とこの時代ぐらいからアメリカで芽生えだしていたであろう独立願望が交じり合った言葉を発する(註2)と、都会に住んでいる叔父チャーリーを自身を救い出してくれる王子さまに重ね合わせてしまう。されど、ふたりのチャーリーの表裏一体するディファレンスが表される。そのことが本作を読み取るカギとなる。
*ここから後はネタバレになるかもしれないが、その正体は如何に、が本作で重要ということはなく(註3)、或る人物が罪の意識を持ってしまうことの方が本作品ではもっと重要な出来事なのである。主人公の内なる場所である内面に二重性が生まれる。
*罪を持つことで家族の尊さを主人公が理解してくるという方向には向かわない(註4)。でも、フランク・キャプラが描くユニークな家族構成員のように、ヒッチコックもひとりひとりを個性豊かに描き、オーディエンスは彼らを決して嫌いになることはないだろう。チャーリーお嬢さんも品のよさを保ち、けっきょくのところアンチ家族の姿勢は見せない。
*さすがマーキュリー劇団のコットンをキャストするだけあり、内面の演技、未亡人を豚呼ばわりするときの横顔のクロースのトラック・イン・ショットは世の中に対する正当性と歪んだ反応を説得力を持たせて表している。
*舞台のスモールタウンはカリフォルニア州サンタローザである。当時の様子が見られ興味深い。大戦中のクルマは箱型ではなく、テールフィンはもうあり流線形だけれど、ドテっとしている。前にラジオで聴いたけれど、クルマに鍵をかけるようになったのは戦後かららしく、意外と最近なんだな、となる。ずっと前から鍵をかけるクルマはあったのかと思うも、戦前ってまだ四角いクラシックカーだったのかな、そういえば、ジョンフォードの『怒りの葡萄』で家族を運ぶトラックはたしか四角いタイプのクラシックカーだったように思えるので、ダッジチャージャーとかのマッスルカーの登場はずいぶん後なんだな。本作品に出てくるクルマたちはドテっとしているけれど、流線形だからけっこうおニューなのであろう。よくよく思い出せば、『理由なき反抗』で若人たちが運転するクルマもまた『疑惑の影』に出てくるクルマとそう変わらないから、60年代になっていきなりクルマの型のシフトチェンジになるのかな。55年ごろにロックンロールが誕生し、市場も若人相手が商売になると思ったのか、クルマの型がスリムになる。また、モータリゼーションで高速道路なんかも完成になりつつだから、風を難なく振りきれる感じで型もスリムに変化してきたのかな。
*腕時計がまだ誰しもがしていなかった時代。たぶん、流行になりかけの頃。チャーリー叔父さんがチャーリーお嬢のパパにお土産に買ってきた腕時計を見せるわけだけれど、パパは腕時計を知っているけれど見るのははじめてと言うが、都会ではそれなりに出回っていたのかな。
*ワルツがかかる輪舞がたびたびディゾルーヴされる。オカルトがやがて表される。コワっ。イニシャル入りの指輪をプレゼントされたとたん殺された未亡人が憑依したかのようにチャーリーはワルツをハミングする。ヒッチコックはたびたびこうしたオカルトを表しているように思う。私的にパッと思い出せるのは『ファミリー・プロット』。
*『疑惑の影』はスモールタウンに潜むワル、とか善と悪の二重性など、リンチが描きそうなもの満載ゆえ彼がヴェリーマッチ好きそうであるが、彼の公言では『疑惑の影』は言及されていない。けれど、多くの映画批評家・理論家は『疑惑の影』とリンチ作品の共通性を言及している。リンチ自身には『疑惑の影』に関する言及はないのだけれど、ヒッチコックの映画は好きだと言っている。彼が言及している記録としてはヒッチコックのテクストで彼が好きな作品は『裏窓』だそうである。
註1 ジョゼフ・コットンはたしか、オーソン・ウェルズのマーキュリー劇団の一員ではなかっただろうか。オーソンとは縁が深い。【マーキュリー劇団(Mercury Theatre / マーキュリー劇場)は、1937年に演出家・俳優のオーソン・ウェルズがプロデューサーのジョン・ハウスマンと共にニューヨークで結成した独立系劇団である。マーキュリー劇団のバックステージ映画作品としてリンクレイターの『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』がある。】
註2 仕事に出かけるレディーはアメリカでも70年代ぐらいからだろう、とクレイマークレイマーなんかから察し思っていたら、まず最初の現象として戦時中に軍需工場に出かける女性が増え、戦後すぐは家庭にとどまる女性が再び増えたのだけれど、50年代末から再び仕事に出かけるレディーたちが増え始めたとのこと。
註3 その正体は如何にを明かすことをもったいぶってることはなく、寧ろ、冒頭の方でそのことは表されている。でも、『下宿人』など他の作品でも或る重要人物にオーディエンスが疑惑を持たせる方向性をヒッチコックは持たせるから、その人物は実はそうなのだということをヒッチコックは初盤でもまだ明かしているつもりはない。どうだろう?多くのオーディエンスはほぼほぼ察知を冒頭でできてるのではないかな。だからチャーリーが田舎に隠れることを理解する。ところで、チャーリーお嬢に惚れる刑事さん、聴き出し目的をホントのデートに思い違いしちゃったうえに、すぐに結婚を思い立つのはチャーリー叔父さんなみにサイコだと思える。でも当時的には会ったその日から恋におちることがハーレークインロマンスだったのかもしれない。
註4 たぶん、オーディエンスは主人公のシンデレラ願望を誰しもが持つ普通にある欲望だとしか思わないだろうし、本作品で主人公がギンギラギンに不良少女になるという描写もなく、むしろ、家族を大事にする品がよいスモールタウン・ガールというスタイルは終始崩れることはない。
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