76年12月5日CBSソニーレコードよりアントニオ猪木のオリジナルアルバム「燃える闘魂」(LPレコード2枚組4,000円、カセット3,400円)が発売されました。
ファン時代の高田延彦が「正座して聞いた」と言われるアルバムですが、家庭用ビデオデッキが普及していない時代、この作品のヒットを機に84年位まではプロレスの実況音源入りのアルバムが多数発売されています。
ただ、クオリティの高さにおいてこのアルバムを上回る作品は出て来ておりません。
監修は東京スポーツ新聞社桜井康雄氏、ナレーションはNET「ワールドプロレスリング」実況の舟橋慶一アナが担当、猪木自身がモノローグにて半生を振り返りながら関連する人物が登場していきます。
アルバムのテーマ曲である「燃える闘魂のテーマ」は炎のファイターとは別物で音楽はクニ河内が担当しています。本連載では配信ではフォロー出来なかったレコード内容の一部を再録したいと思います。
生い立ちからのナレーション、本名猪木寛至、父佐次郎、母文子の六男坊として昭和18年2月20日、横浜市鶴見区生麦町で生まれた生粋の「浜っ子」である。
猪木「親父が早く死んじゃって、本当に顔も覚えてないんですけども、お祖父さんの影響力が強くてね、『何でも一番になれ、●食でも何でもいい、人の上に立つような男になれ!』と言われて…」
猪木の毎朝の日課は雑巾がけで昔の百何十坪といった敷地に建てられた家の掃除をしないと学校に行かせてくれない、とのことでした。
小学校は鶴見の東台小学校へ。中学校は寺尾中学校へ進学。身体の大きかった猪木少年に砲丸投げを薦めたのは恩師・加藤先生。
加藤先生「陸上部の顧問として僕はいつも『練習の苦しさに泣いて、試合の勝利に笑え、練習は苦しくても我慢しなきゃダメだぞ!』と口癖のように言っておったのですが、それを率先して実践していたのが寛ちゃんじゃなかったかと思います。」
中学校に入学した猪木に突然、転機は訪れた。一家をあげてのブラジルへの移住である。
ブラジルに向かう船「サントス丸」の中で猪木は最愛の祖父、相良寿郎との別れを経験します。
猪木「パナマ運河を回ったところのクリストバルという町に船が泊まったんですね。そこでバナナを売りに来た人がいてね。船の中での食事なんてロクなもんじゃなかったですから、バナナにみんなとびついたんです。お祖父さんも食べたんですが、バナナの青い部分が良くなかったんでしょう、腸閉塞を起こして僅か3日で死んでしまいました。」
ブラジルでの移民生活は過酷を極めました。住まいに電気がないという劣悪な環境の中、猪木家はコーヒー農園でコーヒー豆を作る作業をしていました。
猪木家の人々は自らのコーヒー農園に「エスペランサ」(希望)と名付けました。後に高田が「青春のエスペランサ」と古舘伊知郎アナに命名されるのもこれが元ネタで、ハッスルのリングで高田総統の闘う化身、ザ・エスペランサーももちろんここから来ています。
コーヒー園で働きながら日本から持ってきた砲丸での練習を欠かさなかった猪木は兄の相良寿一と一緒に全伯の陸上大会で優勝し、現地の新聞に「コロニア(移民)の英雄、全伯陸上大会を制す」と書かれました。
猪木家はコーヒー農園で貯めた資金でサンパウロに家を買い、猪木は日系人の児玉なる人物が経営していた青果市場で運び屋の仕事をしていました。
60年初め、力道山がブラジルに遠征して来ました。猪木兄弟が全伯陸上大会で優勝したことを新聞で見た力道山はを後援していた児玉氏に、「こいつはどこにいるんだ?」と聞いたところ「そいつならウチで働いている」ということで猪木は力道山と対面、プロレス入りが決まりました。
このエピソードに関してはプロレスラーになりたかった猪木が力道山の来伯を知って自分から売り込んだという説もあり、真相は定かでないですが、いずれにしても猪木はプロレスラーの練習生として約3年ぶりに日本へ帰国することになった訳です。
舟橋アナ「アントニオ猪木の激動と波乱の人生の中で華やかで微笑ましい話題と言えば、人気女優、倍賞美津子との結婚である」
猪木「最初は飲み友達って言うか、食い友達で、お互いに『あっちが美味しい、こっちが美味しい』って、恋愛感情、まあありましたけど、食い気の方が優先で…私が惚れて何とかモノにしちゃった、そんな感じですね。」
ここで倍賞美津子さんが登場。
「うちにいると、長い巡業から帰ってきて、まず最初にいくところは冷蔵庫、果物が好きで、果物をヨダレって言うかおつゆベチョベチョにして食べるんです。」
「(猪木の)趣味?寝るのが好きねぇ、暇さえあればゴロゴロして…、趣味らしい趣味って言うのはないわね。好きな食べ物は納豆、お豆腐、ひじきの煮たのとか…」
とアントンも世間一般の親父と何ら変わらない普通の亭主であることをさりげなく語っていて微笑ましかったです。
舟橋アナ「アントニオ猪木と家族ぐるみの交際をしている世界的なジャズプレーヤー、『ナベサダ』こと渡辺貞夫氏はこう語る」
何と世界のナベサダが猪木について語っているのです。これは本当に貴重な音源。
渡辺「ウチと同じところにいた時はさ、朝飯から昼飯、夜飯な、お互いに自分ん家みたいに行き来してたんだよ。俺は『アントン』って言うんだけど、あいつ俺のことかなりトシだと思ってんじゃないかな?それで『お父さん、お父さん』ってさぁ(笑)」
「今彼も色々厳しい状況の中で頑張っているからね。互いに頑張っていきましょう、俺も頑張りますから。アントン頑張れ!」
渡辺氏と猪木は年齢は9歳離れており、親子というより歳の離れた兄弟みたいなもの。
細かいディテールは省略されていますが、おそらく猪木夫妻と渡辺氏は猪木が以前住んでいた現在は新日本プロレスの道場兼合宿所の野毛で近所付き合いをしていたかと考えられます。
元の猪木家は以前は歌手の畠山みどりが住んでいたと言う話ですから、世田谷の等々力、野毛近辺には芸能人が多数住居を構えていたかと推測出来ます。
猪木が美津子さんとの結婚により手に入れたもう一つの大きなステータス、それは芸能界との繋がりでした。
力道山が美空ひばりに「お兄ちゃん」と慕われていたのは知られた話であり、当時力道山が所有していた赤坂のリキマンションは欧米の生活を先取りしたような高級感に溢れ、伴順三郎、田宮二郎と言った芸能人が住んでいました。
芸能界もプロレス界もいわゆる興行の世界であり共通する面は多々あります。
美津子さんは松竹映画「男はつらいよ」の車寅次郎の妹、さくらを演じており「下町の太陽」で歌手としても活躍した倍賞千恵子さんの妹。
倍賞家は4人兄弟であり、長男明は高校野球で甲子園に出場しています。六本木で飲食店を経営、次いで長女千恵子、次女美津子、次男は新日本プロレスでリングアナウンサーを務めていた鉄夫でした。
倍賞姉妹は解散したSKD(松竹歌劇団)出身であり、浅草国際劇場で数々の舞台を経験、歌も踊りもきちんとマスターしていた本物の女優姉妹でした。
千恵子さんの陰に隠れていた感はありましたが美津子さんも新進気鋭の若手女優として映画、テレビで活躍。猪木と結婚したのは24歳の時で74年8月には長女寛子ちゃんが産まれています。
寛子ちゃんを「外交官にしたい」と語っていた猪木は寛子ちゃんを日本法人の学校ではなく広尾にあったインターナショナルスクールに通わせていました。
寛子ちゃんとサイモンはこの時に知り合っており、幼なじみ同士が結婚したといういい話なのです。
美津子さんという伴侶を得たことで猪木は夫婦でフジテレビの「スター千一夜」にも出演。石坂浩二との繋がりもこの時期であり、美津子さんとテレビドラマ「七色とんがらし」で共演した千葉真一もモハメド・アリとの試合で300,000円のロイヤルシートを購入して観戦しています。
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