フィンチャーは『ゾディアック』を久しぶりに観る。これ以上季節寒くなると、こうした作品を観ると気分が鬱になりそうなので、まだ暖かいうち観ておこう、となる。
今回もパズル世界、オブセッション、そして慈愛は確かに感じる。『ゾディアック』の今回のインプレッションは、フィンチャーの洗練されたドキドキ観、そしてちょいとハリウッドの定型的な救済かな。ドキドキでいざなうのはいいし、コンピューターグラフィックスでの絵は素敵である。もちろんロケ撮影もあるけれど、CGらしいセンスで表す街空間は素敵である。サンフランシスコ・ベイエリアが綺麗である。そしてハリウッドならではの救済。アイアンマン・ジャーナリストが離脱し、刑事の相棒が「家族とともにいる」と言って離脱し、そのあたりすぐ後の漫画家の奥さんからのスローなトラックバック・ショットで、漫画家のオブセッションが深まりつつあることを暗示し家族にもたらされる不安が表され、映写技師と会うことで漫画家自身の恐怖感が迷路に迷うかのような眩暈とともに表され、されど、マイクが指さすリーのシークエンスに続く、漫画家は現在も家族と仲良く暮らしている、とさチャンチャン、みたいなテロップとリーの死のあと無言電話がなくなったこと等、安堵感と主人公の狙いの当たり、そうしたものに救済が表されていたり、それすなわちオーディエンスにも落ち着きを与えるということ、などハリウッド映画らしい着地点が、悪い意味では意外性のなさ、いい意味では今晩は全部解決してベッドでよく寝れる、を与える。でも、なぜにタクシーの殺人を見ていた、今は成長しているはずの子供にリーの写真を見せ、この人?と聴かなかったのか、それはロングタイムアゴーのメモリーゆえに忘却の彼方の可能性はあるのなら、なぜに最初の被害者の女性の姉に写真を見せなかったのか、が分からないな、となる。イッパツで解決じゃん。
ダーティハリーのスコーピオンの基となったのか、この事件。
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