*『パスト ライブス/再会』(Past Lives 2023;セリーヌ・ソン)レンタルで観る。子供時代のふたりはいくつだったのかな。男子の方は変声期になりかけの声だし12年後が2度あるからたぶん12才ぐらいだろう。また、本作は12才ぐらいから36歳ぐらいまでのスパンが表されるから、今世紀に入っての四半世紀を振り返る形もあろう。そのときそのときの時事的なこと、起こった事件などが振り返られることはないが、生きてきた時間感が微かに浮かび上がる。
*エスタブリッシュショット、主人公3人の談笑、そして3人を客観的に見て話す同じレストラン内にいるアメリカ人の男女の声が表される。あの3人ってどんな関係性なのだろう、アジア人ふたりが夫婦?それとも隣の白人がご主人?と、あってこでもないけれど、そうすることで我々オーディエンスにその3人の関係性に関心をもたせる。後に語られる「縁」がそこではすでに表されている。
*文学的である。ヘソンがNYに来るまではなにか流れがちんたらちんたらしていたけれど、ノラが母親から誰が好きとその理由を聴かれて言った言葉をご主人に何気に言うときのご主人の複雑な表情、そしてノラのご主人がノラは寝言でいつも韓国語を喋っていると言うとき、壁を越えられないアイデンティティとアウェイな感覚、不安とが微かにもはっきりアーサーにあらわれる。ヘソンが後にアーサーにも僕たちには「縁」があると言うけれど、縁は3人にあるのだ。
*ヘソンをタクシーまでおくるときのノラ、ふたりの長回しは映画制作的に勝負なんだなとなる。ふたりが喋らないのもあるからか緊張感がそこにある。タクシーがフレームに入るときもうまい形で表されている。オトコはロマンティストでオンナはリアリストとか言う話もよく聴くけれど、ヘソンとノラはその典型かのようにそれまでは表されている。ノラは少女の頃の私を見ていて、と言うが、アーサーが門を開き彼女が泣きだすとき彼女はようやく少女から大人になるのだろう。彼女もまたロマンのなかに、或いは再会がそうさせたのだろう。
*『aftersun/アフターサン』はシャーロット・ウェルズの完全なる自伝ではなく彼女が言うようにフィクションであるが、小さいころカナダに渡ったセリーヌ・ソンと本作品の主人公がダブるも自伝ではなくフィクションではあろう。されど、完全なるフィクションでもないだろう。どちらの作品も映画作家の心情が想像的に映し出されている。ミュージシャンの伝記映画がちまたで多くつくられているが、やはりあれは映画がそのミュージシャンの或る面を切り取ったものでしかないように思え、それよりもウェルズとソンのこれらの作品がまんま主観的に語られる嘘のないものに感じられる。伝記映画ではクリント・イーストウッドをスターが映画を作っているから映画作家に認識を移行させた(カイエデュシネマがその作品を注目したことや主演したフォレスト・ウィテカーがカンヌで主演男優賞を獲ったこともイーストウッドが映画作家であると認識させること手伝わせたのだろう)チャーリー・パーカーを描いた『バード』(Bird)をちゃんと観たぐらいだろうか。でも、バードの人生がどんなものだったかを観るというよりかは、映画作家であるイーストウッドの作品を観る、という感覚のほうが強かった。
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