レンタルしたVHSをまーえ、DVDにダビングしていたのだけれど、そのDVD群を棚の中まさぐっていると見つけ、現在は購入すらできない(配信でもやってないんじゃないかな)作品を見つけヤッターとなる。ボロフチクは『罪物語』やウェルトミューラーは『流されて…』やカヴァーニは『卍/ベルリン・アフェア』やホドロフスキーは『エル・トポ』『サンタ・サングレ/聖なる血』やシュバンクマイエルは『ファウスト』やヘルツォークは『アギーレ/神の怒り』『コブラ・ヴェルデ』やヴィスコンティは『ルートヴィヒ』やコクトーは『詩人の血』やブニュエルは『黄金時代』、それにジャンヴィゴの『アトラント号』『新学期・操行ゼロ』etc。、、、コアなものが好みだったんだなぁ、最近はライト感覚になっている。いかんかも、コアにじゃっかん戻そう。そこに、そういえばむかーしダビングしてたんだ、カラックスは『ポンヌフの恋人』とノエは『カノン』がある。カラックスとノエの最初に観た作品である。今回それらを観賞。カラックスギャスパーの作品群をどんどん購入しているけれどどちらも購入せずのまま、というのも、『ポンヌフの恋人』は猫も杓子も噂している感じで多くのジャポニーズが観すぎであったので関心をなくし、『カノン』は名画座かどこかで観たとき、オーケストラヒットのようなボーンとか拳銃音のバーンとか途中ところどころで強烈に鳴り響きそれら効果音に耐えられず劇場から逃げ出しちょいとトラウマになっているから(数年前、YouTubeにあったので、ダブしたこととか忘れていて、そのとき観た。フランス語でなに言っているか分からなかったけれどとりあえず最後まで観賞。今回は3回目かな)。ノエの『カノン』は英語のタイトルでは I Stand Alone、でフランス語の原題はSeul contre tousで、フランス語からの翻訳機にかけてみると「みんなに対して一人で」。今回も効果音が不快にドッキリさせるのでヴォリューム下げて観賞。追い詰められた男が、狼狽するではなく、よく言えば、世界に抵抗する。たられば、あいつはとんでもない奴だっ!みたいな心の声が続いて、聴いていてこちらにも不快感が押し寄せるが、もしかしたら私自身もこうした切羽詰まったギリギリの状態のときはこうしたことを思ってしまうのかもしれないのか、ともなり、『タクシードライバー』のトラヴィスにもきっと影響を受けているであろうノエ(どちらも主人公がポルノ映画館で映画を観ているとき彼の声がナラタージュされる)、心理ドラマとしても世の中での抵抗ドラマとしても再見に関心がいく。カラックスの『ポンヌフの恋人』の主人公たちはギリギリ追い詰められたというよりは、もはや世捨て人。この世に執着はなく浮世離れに生きている。アレックス三部作の最後の作品であるが、それらはアレックスの成長物語なのではなく、どのアレックスも別々のアレックスだと思うけれど、本作品のアレックスは一番無垢。恋も愛もまだ知らないなアレックスに思える。これまでのアレックス作品よりも喋りと語り少なめ、その分、より情動が強めに表される。きっちりした構図のカメラアイではなく、ハンドヘルドによるドキュメンタリーもするカメラアイ、世の中を写し取ろうとする姿勢と主人公ふたりの情動をストラクチャーする。
つづく
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