短編があったので観る。覚え書き。
Le Bel Indefférent
Le Coup du berger
☆Le Bel Indefférent(英題;The Beautiful Indifferent) | Jacques Demy | 1957
* 脚本はドゥミではなくジャン・コクトーによるもので、コクトーがエディット・ピアフのために書いた戯曲を映画化したもの。タイトルは「冷淡な美男子」という意味。女性のモノローグが表され、恋人である男性はそのことにまったく無関心という内容。女性は悲しい気持ちを吐露している。
*色彩はドゥミのこだわりファクターの大きなひとつだろうか。長編映画第一作『ローラ』をつくるうえでカラー、そしてシェルブールと同じように全編を歌にしたかったようだが、プロデューサーは『勝手にしやがれ』を成功させたばかりのボールガール、で、ドゥミの打診をノンと断る(そこではできなかったけれど、2年後に『シェルブールの雨傘』でドゥミの夢は実現する)。本作は『ローラ』よりも前の作品、短編ゆえか予算的にもカラーフィルムは使えたのだろう、で、壁の赤の原色やエトセトラ、彼のこだわり一目瞭然。
*始まりは幕があがるというコクトーのオリジナル舞台へのリスペクト、それと同時に世界劇場という概念もそこにはあろう。世界劇場とは、舞台演劇と同じように現実に生きる我々もまた役を演じているのであり、それぞれ役割が現実世界に振り分けられているという、キリストという神の視点がともなわれる欧羅巴的な考えであるが、なにか浄瑠璃人形のように表される人物たちには悲哀も喜びもなにもかも神による指示が世界にはあること仄めかされているのだろうか。
*主人公の女性はどんどんエモを吐露している。聴いてはくれない恋人。口は動かしているけれど本当はそうなのではなく分かってもらいたいことを仕草かなにかで相手に(そしてオーディエンスである我々に)届けるといった、演出上で心の声の表現なのかもしれないし、本当に喋っていて彼氏はノーリアクションなのかもしれないし、或いは、もうすでに死んでいるのに本人は気付いていないだけなのかもしれないし、と、観賞している者の十人十色それぞれのセンスは反映されるのだろうけれど、この感情の吐露というものはその後の『シェルブールの雨傘』の表現に繋がるものにちがいないであろうし、或いは『ローラ』のよく喋る主人公にももしかしたら繋がるものなのなのかもしれない。
☆Le Coup du berger(英題;Fool's Mate) | Jacques Rivette | 1956
*タイトルの意味はチェス用語とのことで、初心者がひっかりやすい手をいうらしく、日本語のタイトルは将棋からとって「王手飛車取り」。妻が愛人からもらった毛皮のコートを夫から怪しまれないように家に運ぶことを企むけれど、夫はもっと安物のコートにすり替えて、彼の愛人である妻の妹に高級コートをあげる、といった男女の駆け引き騙し合いで、夫の方が一枚上手だったというもの。
*いわゆる艶笑喜劇であろう。ヨーロッパで昔からあるもの、オペラにも演劇にもあるジャンル。
*前3作の短編映画はインディーズだったけれど、本作品は商業プロデューサーと組んだ、リヴェットにとっては商業映画デヴュー作品。
*最終盤の夫の毛皮のコートを撫でる手は、相手に対する愛情も込められた優しさもそこには感じられ、なにかトリュフォーを想起させるものがある。或いは、妻に対する勝利を表しているのかもしれないし、様々に捉えられるであろう。オーディエンスは十人十色、解釈はそれぞれにあるはず、けど、どちらにしてもコメディらしく、してやったり的なおもしろさはそこには表されている。
ログインしてコメントを確認・投稿する