ストロング小林の引退イヤーとなった84年は日米プロレス界の大きな変革の年であり、プロレス関係の年表や歴史本の多数が84年以降ページが増えて出来事が倍になります。
日本では馬場と猪木の二極対立構造が崩れ、多団体時代の幕開けが始まり、アメリカではビンス・マクマホンによる全米テリトリー侵攻が始まり、共存共栄をモットーとしたローカルテリトリー制が崩壊していきました。
新日本プロレスは内部分裂を起こしUWFとジャパンプロレスが誕生する歴史的な年でしたがそのきっかけになったのが前83年の新日本プロレス社内クーデターでした。
84年の新日本プロレスは1月1日後楽園ホールでの「新春黄金シリーズ」開幕戦でスタート、3年連続の元日興行。メインイベントは猪木と83年は来日がなかったダスティ・ローデスがシングルマッチ60分1本勝負で対戦し両者リングアウト。
このシリーズの目玉はタイガーマスクが返上したもう一つのベルト、WWFジュニア・ヘビー級王座決定リーグ戦。ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、ザ・コブラ、小林邦昭、寺西勇、ブラック・タイガー、ブレット・ハート、ベビー・フェイス、高田伸彦の9選手が参加。
30年を超える歴史と伝統を持つ新日本プロレスの看板シリーズ「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」のまさに原点とも言えるリーグ戦でした。
1月6日後楽園ホールは前83年に改革派として社内クーデターを起こした側の中心人物の一人で新日本プロレスの営業部長だった大塚直樹が退職して代表取締役に就任した「新日本プロレス興行株式会社」主催の初の興行となりました。メインイベントでは猪木&藤波辰巳組とローデス&バディ・ローズ組のタッグマッチが行われ、猪木が延髄斬りからの体固めでローズを破りました。
1月18日放送のテレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に前83年8月10日放送分をキャンセルしたタイガーマスク改めザ・タイガーがその時の穴埋めとしてゲスト出演、マスクを脱いで佐山聡としての素顔をテレビで公開しました。その際、ザ・タイガーは新しい格闘技の設立とアメリカにおけるプロレス活動再開を示唆する発言をしています。
新日本プロレスの元営業本部長、「過激な仕掛人」新間寿は前83年8月の社内クーデターで猪木、坂口征二と共に取締役の座から追われました。猪木、坂口は11月に復権しましたが新間はそのまま退職。後にマルチ商法で社会問題となるジャパンライフに再就職しながら新日本プロレス在職時に懇意にしていたニューヨークWWFのプロモーター、ビンス・マクマホン・シニアの協力を得て、「第3団体」旗揚げに向けて動き出し、ザ・タイガーの佐山とは前83年8月に会って和解、ザ・タイガーをWWFのリングで復活させる動きが表に出てきました。
WWFも大きな動きがあり、前83年12月26日(現地時間)ニューヨークMSGで通算5年10か月の長きに亘りWWFヘビー級王座に君臨していたボブ・バックランドがアイアン・シークのキャメルクラッチの前にTKO負けを喫し王座転落。
1月23日(現地時間)ニューヨークMSGでハルク・ホーガンがIシークをギロチンドロップからの片エビ固めで降してタイトル移動、ホーガンが新王者となりました。
体調を崩していたビンス・シニアに代わり現場を動かしていたビンス・マクマホンはこれを機にNWA、AWAのテリトリーに興行戦争を仕掛けていきました。共存共栄を図っていたローカルテリトリー制を潰しにかかったのです。また父ビンス・シニアが71年8月にNWAに加盟した際、削除した「世界」の二字を復活させ「WWF世界ヘビー級王座」を12年半ぶりに名乗りました。
そしてビジネス上では不仲だった父ビンス・シニアからWWFの運営会社であったキャピタル・レスリング・コーポレーションの株式を妻のリンダと共に「譲渡ではなく買取」で取得、ゴリラ・モンスーン、ペンシルバニア州フィラデルフィアのプロモーター、フィル・ザコらの所有株式をも取得し夫妻で100%オーナーとなりコネチカット州スタンフォードに「タイタンスポーツ株式会社」を設立しています。
WWFヘビー級王者となったホーガンは1月27日愛知県体育館から「新春黄金シリーズ」に特別参加。第1戦ではアイアン・マイク・シャープと組んで猪木&藤波組と対戦し藤波とシャープが両者フェンスアウトの引き分け。
1月6日後楽園ホールで仲間割れしたアブドーラ・ザ・ブッチャーとバッドニュース・アレンがシングルマッチで対戦するも僅か1分15秒でビール瓶を持ち出したアレンの反則負け。
コブラとキッドの公式戦はコブラがウラカンラナでキッドから初フォール勝ちを奪いました。
1月30日巡業から剛竜馬が姿を消しています。これが噂されている「第3団体」への参戦を意味しているのか…?
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