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2024年02月29日09:59

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THE BATMAN−ザ・バットマン−


THE BATMAN−ザ・バットマン−をレンタル。観てからそんなに経ってないけれど観たくなる。私の記憶が正しければバットマン、とーぜんと言えばトーゼンだけれど、ういている。警部ら警察など一般のヒトといるときにバットマン、その場でういていたのである。せめて横にロビンでもいてくれなきゃ、うくよね。ハロウィンでもないのに一人だけコスプレパーリー。フツーな感じで一般大衆のなかにいて違和感なく溶け込むことが決してない。それも確かめたいから観るわけではない。バードマンの前にバットマンを観ようか、と。私的に注目の作家たち、マーティンマクドナーとヨルゴスランティモスの作品にも出ているコリンファレルとバリーコーガンが本作にも登場、それが大きな理由かな。コーガンはメインを張るアクターになるかどうか分からないけれど、たとえならないにしても、ボブバラバンやマイケルJポラードのような自己主張しなくても印象とてももたらすアクターの殿堂に入ることは間違いない。

それにしても議事堂襲撃はトランプ扇動が核としてあるものというよりも、スリップノットなんかのカブリものメタルやカブリものヒーローのなかでも特にノーランやスナイダーなどで何度もこの20年間繰り返され制作されているバットマンの自警団ガーディアンエンジェルぶりが人々の脳内イメージをわいがヒーローや!と確固たるものに築きあげてしまっているのが大要因なのではないか、と思ってしまう。

THE BATMAN−ザ・バットマン−おもしろかった。まずはファレルとコーガン。どちらも顔出しNGな如くに不在にして、されどその存在をあらしめること、やはり名優たちである。ファレルはある意味カブリものしている。デニーロにしてもフランケンシュタイン出演にあたり顔はハッキリと分かるように、スターとしてその存在性をアピールさせていたけれど(出演にあたり自身の顔が分かるようにと要求したらしい)、ファレルは顔の存在を消し去りベツモノに徹す。ちょっとデニーロ的なマフィアをつくりあげ、それが彼のメソッドなのだろう。彼自身的なものを本作では削除させる。ペンギンに徹する。コーガンはほぼ影的な現れで声での表現性(バットマンがジョーカーに相談しにくるところが撮影されたけれどカットされたらしい)、それで納得させる。また本作、まさに現代的なポイント押さえるバットマンである。不満を突きつけられ扇動される市民たちは自らをガーディアンエンジェルに変える。お前は誰だとバットマンから問われ「復讐だ」と答える。犯罪蔓延る社会、そしてマイノリティと化した白人ブルーカラー、ならば世界を転覆させるしかない。この社会という存在が顕わとなる。キャットウーマンもその存在もまたバレバレ。てか隠そうとはしていない。バットマンはキャットウーマンに変装する前からずっと彼女を目で追っている。その目線は合わさりキス、愛が生まれる。ラストのそれぞれ己の道を行くべく分かれるふたり、それは運命、最初から分かっていること。生きるべき道が違うのだ。と、善きファムファタールと出会い別れるノワールなジャンルを体現する。ハリウッドである。ノーランのバットマンは矢継ぎ早に動き続けても、選択をオーディエンスに考えさせるのに時間を与える。しかし、本作のバットマンは矢継ぎ早にムーヴし続け考える間を与えず、利己的ではない利他的なヒーロー像を見せつけ感嘆させる。ムーヴして、オーディエンスをムーヴ、そう、感動させる。ノーラン、スナイダー、そしてバートンすらも異端なバットマンを創作していたかもしれない(原作的には近いのかもしれないが)、と思わせるとてもハリウッド的なストレートなバットマンである。


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