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2023年09月30日19:20

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山下石井今泉いままでのところの感想

いままでんところの感想


☆山下敦弘
  *プリミティブな空間。(そこにイノセンスや動物的欲望が表される。)
  *ドブネズミたち。
  *音響ジェネ: 音響とその視覚的描写は特徴的。
  *異人の闖入が世界を変える。気遣わぬアウトサイダーが世界という舞台でヴィクトリーする。主人公とは距離があるけどどこか共鳴するもの持つ人物がアウトサイダー(時には主人公自身)であり、ラストはヴィクトリーする。俗世界に属せない彼女/彼はアウトサイダー、外人なのである。
  *共感にいざないながらも最後には、我々を突き放す。主人公を通して、アウトサイダーの姿勢を視せ聴かせる。しかしそれは、結びつきの尊さをドブネズミであるべきことに求めているのだろう。汚さも全てひっくるめてのボーダーラインの削除が哥なのである。彼らにとってインもアウトもない。
  *夢遊病者。戸惑いのなかで夢遊する。登場人物たち旅人はみな彼岸を旅しているかのような奴らばかり。想像の旅に出ている。
  *"ヘンなモノ、汚いもの”は実は、生活臭さであり、そうした人間臭さを受け入れることによってリアルと出会うことができる。されど、リアルと出会うときそれに背を向け"ヘンな"幻想にも向かう。
  *主人公にヘンが描かれる。"ヘンなモノ、汚いもの”は実は、生活臭さであり、そうした人間臭さを受け入れることによって、写実を獲得する。主人公、そして我々は現実に埋没している。しかしそこはヘン。主人公は現実に見えるようなものに背を向け"ヘンな"幻想にも向かう。私たちにもシュールレアルを分かち合うこと託している。
  *日常生活に潜む喜びや哀しみといった人間間に育まれる人情を現前させる。
  *結びつきが難しい現代を表しているのではない。すれ違う乃至ほどけるから結びつこうとする古今東西どこもかしこもの普遍的な人情を、生として表しているのである。山下は人と人とを対峙させることによって、そうした生を紡ぎだす。
  *掴み所のない強い生命力を顕す性。でも、山下のテクストはイマヘイのようなネチョっとした感覚はない。むしろ、軽くシャープで、でもって霧がかった感触である。イマヘイが描くような昭和を図太く生きるヒトビトが彼のテクストに表されるわけでもなく、そこには壊れやすく弱く、でもそうした自分に向きあえない(或いは、そうした自分が分からない)ヒトビトしか表されないのだ。山下が描く牧歌的な風景は、『リンダ リンダ リンダ』の川岸を歩く少女たちのように、ソクローフ的な夢遊病者が徘徊する霧として表される。
  *人生はドラマティックではないように感じられながらもドラマティックなものが隠れてるということを表す。
  *敦弘テクスト、昭和枯れすすきな辛気くささなのに軽い。シラケた70年代の風情ありながらの、ロストジェネレーションは現代的な浮遊感をあらわすのである。
  *ポップなものは健やかで爽やかで綺麗なのであるが、シュールレアルとはちがう。だから主人公は、彼らから離れざるえないのである。
  *ミューズがヨソ者あるいはオフビート者を再生へと導く。ラストはヨソ者が爽やかに力強くヴィクトリーする。


☆石井裕也
  *一生懸命に生きる人間のパワー
  *生きづらい世界、悪意に充ちた世界、不条理な世界(註1)に、一生懸命に生きる人間のパワーが表される。平々凡々の主人公はそこで相手の傷みを想像できる想像力と愛すること乃至恋することの本当の意味を知る。【 註1:であるが、(これまで観た作品のなかでだが、夜空はいつでも以外は)登場人物から口頭で発せられる乃至臨んでいるというぐらいで、そうした世界がしっかりと悲惨めいて描写されているわけではない。】
  *想像力。← 相手の傷みを想像しろ。
  *ミューズはいつも不機嫌な果実である。
  *愛すること乃至恋することの本当の意味。
  *ロスジェネ。目立たぬ者たち。
  *逃走するスキゾキッズ礼賛を感じられるが、やはりエイティーズからの影響あるのか。
  *不条理な世界が表されても、ファンタジー感で包み込むのが石井裕也の世界である。


☆今泉力哉
  *いつもの日常の中、夢焦がれる日がこないこと。夢焦がれるものは自ら求めるということは清く正しい。 → 想像力
  *どこかで出会った者たちであるのだが、そこには縁めいたものが表される。目に見えぬ赤い糸であるが、それは恋愛関係におけるそれというよりその空間に棲む者たちの間にあるものかのように在る。彼女ら彼らは似た者同士かのようであり、そして相反する者たち同士かのようにある。
  *登場人物たちの素朴さ見せる顔や動きはやはり今泉印である。アレンやロメールと同じように、引きの絵における人物の見た目を捉えるディスタンスは内面でなく動作における心理描写をなす。今泉の場合はそこにヒトの素直さが捉えられる。登場人物たちのあまりにも素直な表情や所作は爽快さだけではなく奇異も生む。それが今泉イズムのように思える。
  *内面にある優柔不断さは今泉テクストにおける特色である。それが霧が晴れスッキリするまでが今泉テクストに表されるものである。霧が晴れてスッキリは多くの映画作品で表されるものであるが、今泉テクストではそれが視覚的にまんま表現される。

                  こんな感じかいな。



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