『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』
プリズナーズ・オブ・ゴーストランドおもしろかった。ニコラスの慶次だけではなく、ノエのクライマックスのメインやったソフィアブテラもいるし、ニックカサヴェテスもいる。ワルのボスはロブゾンビの常連さんということで、ペキンパーでいえばL.Q. ジョーンズ、ジョンフォードでいえばヴィクターマクラグレンという感じだろうけれど、本作はロブゾンビのファンも観にくるような感じだから、知る人ぞ知るな感じで雄たけびあげるのだろう。
ずっと観ていると、ゴーストインザシェルとパプリカな感じがしてくる。ソフィアブテラはスカーレットヨハンソンなんかより草薙素子に近い顔、というかソックリである。ハリウッド映画なんだろうけれど、リアル鬼ごっこの方がずっとお金がかかっているように思える。あの時計台があるセットが巨額投資対象だったのかな。ならば、世界のクロサワから世界のソノシオンに移行するのは納得できる、ただし乱の燃えおちる城の方がずっと立派ではある。小さな規模のマッドマックス怒りのデスロードやニューヨーク1997にも見えるけれど、ずっと観ていると、鉄男や狂い咲きサンダーロードというよりも、ピクニックやスワローテイルにちょいとインスパイアされたのではとも感じられてくる。蝶々も舞いだすし。
亜米利加映画の正道を頑なにプロデュースするクルーズに対し、慶次はきっとカルトな亜米利加映画づくりを目指しているのだろうな。彼の作品群を俯瞰すると、そう思える。そうした意味では、日本的なサブカルともキムズヴィデオにタムロする連中とも符合する。
新宿スワンのアクションとかスッキリして観れたけれど、東京トライブのそれはかなりDULLだったけれど、思いが募るとそうなるのかな、こちらも鈍いアクションである(ラストのはスッキリしている)。でも慶次はアンチポルノを観て園に声をかけたらしいから、そういった意味では、虚構とリアルの交じり合い、ってより虚構そのものの世界観は慶次を満足させるものとはなるのだろう。園の思いはトライブの換気扇かなにかに吞み込まれていくシークエンスと同じように、あのキノコ雲に集約されているのだろうな。メッセはワルがもたらす国家機密の隠ぺいに向けたものだ。
ワルのボスはこれといって悪事を見せなく、見せるにしても、お酒がないーと怒るところぐらいで、オーディエンスの敵意を増殖させないけれど、わざわざ憎しみを煽ることしなくても、ワルと象徴されている限りそれはそうであり、描くだけ無駄と現代映画ではショートカットされてしまっているのかな。或いは、知る人ぞ知るロブゾンビの常連なのだ、そんなことしなくても、成田三樹夫や小池朝雄や悪代官と同じでその存在感だけでオーディエンスは瓶やポップコーンをスクリーンに向かって投げることできるのかな。
祭りごとは政- まつりごと -に向けられるものであり、世界は問われる。そうした意味では、慶次のやっているカルト・アクション群は慶次の趣味をやっているだけではなく、ちゃんとメッセージも発信されているのかもしれない。ソノシオンはそこに符合する。
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