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2023年02月01日10:29

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ニンフォマニアックVolume I


『ニンフォマニアックVolume I』
 ニンフォマニアックVolume Iおもしろかった。再見である。観るには体力いるな、今日はキツイな、こないだTSUTAYAの在庫処理で買ったひとつ、ここは退屈迎えに来て、にしよう、前から気になっていた、どんなのかなと出演者の顔ぶれチェックすると、、これ観た、おもしろくなかった、と、なんとなく記憶が自動車教習所がでてきたな、とか断片ちらほら。あのときは青春映画のモードではなく、たしかコリンノエカラックスだったから、おもしろく感じられなかったのだろう、橋本愛と永野芽衣を配してもまったくおもしろくなかったPARKS パークスもいま観たら腹抱えて笑い転げるかもしれないな、こんど退屈迎えともども観てみよう、とニンフォマニアックの方がまだまし、と本作を観る。セクシュアルなシーンが盛りだくさんだけれど官能がない。むしろ嘔吐感が押し寄せる。べつに罪の意識の圀に住んでいるのではなく、恥の意識の圀の住民である(この圀ももはや、恥は人生という旅のなかではかき捨てろ的になっているようではあるが)ので、まざまざと罪を見せつけられたから嘔吐感が押し寄せたわけではなく、奇跡の海のときも起こるのと同じ感覚、フォントリア―のカメラアイが生みだすものなのだろう。ハンドヘルドによるそれは描写を切り取ってゆく。描写はアクターが創り出すもので、カメラアイはそれを切り取ってゆく、と、そう感じられるものが表される。独特に、次のシークエンスに、或いは次のショットにジャンプカットするかのように移るのもフォントリア―らしさ。断片が組み合わされ詩を生む。ハネケのカメラアイはもっと引いた感じ、人間を観察分析するかのようであり、たぶん無神論者であろうハネケ、そんなセンスを見出すが、罪を意識する圀の住人フォントリア―のカメラアイはもっと散文詩を組み立てるかのよう。ハンドヘルドだけが嘔吐感を生むのではなく、やはり生々しさか。
 ファニーゲームユーエスエーと同じく、静寂がノイズでかき消される冒頭である。結末がぼやけながらも思い出され、冒頭のふたりの出会いはハナシのなかサカナと釣り人の出会いか、そのうち、悪魔との出会いだっけ、となり、ジェロームは神か、とプロセスでいろいろ思う。愛は嫉妬の要素がついた欲望と、愛を拒む主人公ジョーは父だけには愛を表す。孤独に苛まれるために交わりを繰り返すのかな、それともただ、したいだけ、快感か、ともなる。父が愛するトネリコのように��1のラヴ/イヴになりたいのかな。あるいは身体が勝手にフィボナッチ数列を求めるのか。それが自然の流儀である。





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