サイボーグでも大丈夫おもしろかった。カラフルだったな。この作品、断食症少女の冒険譚にも見えるし、断食症少女の救済ラブストーリーにも見える。キューブリックもパクチャヌクもこの世に蔓延る暴力、といった暴力世界を表しているように思うが、キューブリックはそこにあるべき自由を模索するかのようにも思えるが、チャヌクはそこにあるべきはずの慈愛を探求しているかのように映る。この作品での暴力はまず視覚的に、精神病院によって表されるだろう。ジョンフォードらによる西部劇における”インディアン”、いわゆるイメージとしてのそれと同じように、カッコーの巣の上でや時計じかけのオレンジによるイメージとしての”精神病院”だ。でも、プロセス進んでいくと、そこの住人は患者も先生も皆は良いヒト。ラストはピの献身的なラブに、サイボーグだった心がやっと恋心を持つ、ということなのかな。そして、あの虹とチャヌクが好きなタンゴ風音楽。乾きのふたりもラストは並んで座っていた。乾きのふたりは死ななければならないように、サイボーグでも大丈夫の若いふたりはこれからもっと生きなければならない。そうしたコントラストを感じる。どちらも永遠性ということでは同じであるが。
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