シネラで大親父と、小親父と、その他の話を観る。おもしろかった。観ながら、女性は奉仕するのが必須、そして父権は絶対的なのか、男社会なんだな、となる。自然の音の雰囲気や闘鶏のとこで青いパパイヤやシクロを連想させ、ベトナム映画ではトランアンユン以前以後というのがインフルエンスであるのかな、となるも、神秘的な森での描写では、なんともアピチャートポンウィーラセータクンなセンス。身体的欲望のハナシなので、泥まみれな身体など、そうした身体性の描写がいろいろと表される。青年たちの日常の感じはなんだかミンリャンは青春神話している。筋的には、はてはレスザンゼロしてくる。あらすじ的なものは別にしても、映像的に、実験的精神であっても、あちこちからの借り物なものが感じられ、実験的ではなく感じられる。でも、青年たちの会話の長いシーンや、そこに映る日常など、いまのベトナムの切り取り、まざまざと表してみせる。ラストの去勢されるだろうオチンチン、あっ、なにげに強調することなくあるがままに表していた序盤の男社会の表し方、意図していたんだな、となる。
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