74年、ストロング小林アメリカ再修行、マスクマン、コリアン・アサシンに変身してのフロリダ後編です。
6月28日、タラハッシー (勝敗不明)ドン・ムラコ
7月1日、オーランド ●エディ&マイク・グラハム&ケビン・サリバンvsザ・サモアン&Kアサシン&ゲーリー・ハート
7月2日、タンパ・フォートフォーマー・ヘスタリー・アーモリー ●ダスティ・ローデス(ライトアウトマッチ)
7月3日、マイアミビーチ・コンベンションセンター ○ムラコ
7月5日、タラハッシー (勝敗不明)ローデス&ムラコvsパク・ソンナン&Kアサシン
7月6日、サラソータ (勝敗不明)ローデス&ムラコvsパク・ソンナン&Kアサシン
7月8日、オーランド ●ローデス(NWAサウスヘビー級選手権試合)
7月9日、タンパ ●ローデス(テキサスデスマッチ)
7月12日、タラハッシー (勝敗不明)ボブ・アームストロング(NWAノースアメリカン・ヘビー級選手権試合)
7月15日、オーランド ●Mグラハム
7月16日、フォートマイヤーズ (勝敗不明)ムラコ&Kサリバンvsサモアン&Kアサシン
7月17日、マイアミビーチ ●Mグラハム&ディック・スレーターvsボビー・ダンカン&Kアサシン
7月19日、タラハッシー (勝敗不明)ボブ・アームストロング(NWAノースアメリカン・ヘビー級選手権試合)
7月22日、オーランド ●Mグラハム&スレーター&Kサリバンvsダンカン&Kアサシン&Gハート
7月23日、タンパ ●マスクド・バウンティハンター
7月24日、マイアミビーチ ●ボブ・アームストロング(NWAノースアメリカン・ヘビー級選手権試合)
7月26日、フォートローダーデール (勝敗不明)ロン・フラー
7月27日、オーランド ●ジェリー・ブリスコ&ムラコvsダンカン&Kアサシン
正体を隠した謎のマスクマンとしてのフロリダサーキットでしたが、国際プロレス時代にIWA世界ヘビー級王座を賭けて2度対戦し2勝しているローデスはフロリダ地区のベビーフェイスのトップであり、勝たせてはもらえず。
初戦の対戦相手となったロベルト・ソトは前73年4月に新日本プロレスに初来日したサイクロン(マヌエル)・ソトの弟。この年の10月、新日本プロレスの「闘魂シリーズ第2弾」に初来日、アンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーに抜擢されて12月5日、大阪府立体育会館で猪木&坂口征二組の北米タッグ王座に挑戦。(ソトが2本取られ2−1で負け)78年3月の藤波辰巳凱旋帰国シリーズ「ビッグ・ファイト・シリーズ」に再来日し小林と対戦しています。
フロリダ地区のプロモーター、エディ・グラハムと息子のマイクはこの年の2月に全日本プロレスに来たばかり、この時期はフロリダマーケットは全日本プロレス寄りでしたが、78年11月にヒロ・マツダが新日本プロレスに参戦してからは新日本プロレスとビジネスを開始。マイクは80年3月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」にNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者として一度だけ新日本プロレスに来日しています。
ドン・ムラコはドン・モロッコ表記で国際プロレスに71年11月に初来日。その時はまだ若手の域を出ず扱いは最下位。77年7月にロード・ブレアースのブッキングで全日本プロレスに登場。80年にWWF入りし、ペドロ・モラレスとインターコンチネンタル王座を巡る抗争を展開、大物となってから81年3月「WWFビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」に新日本プロレスに初登場、坂口のWWF北米ヘビー級、坂口&長州力組の北米タッグ王座に挑戦しますが、小林はメキシコ遠征中でスレ違いに終わっています。
黒人のトム・ジョーンズは69年1月、日本プロレスに初来日。同シリーズでは、同じ初来日のバスター・ロイド(ルーファス・ジョーンズ)のパートナーを務めました。小林と対戦した直後の7月新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」に再来日しました。
記録上は勝っている「鳥人」ダニー・ホッジとは国際プロレスがTBS体制になった最初の68年1月「オープニング・ワールド・シリーズ」以来の対戦。第3戦、1月7日、長崎市公会堂で小林はダニー・ホッジに15分10秒、アバラ折り(コブラツイスト)でギブアップ負けを喫し、デビュー後初黒星の相手。
この時期はケン・マンテルに敗れNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を明け渡しており、不調だったかと思います。ホッジも小林と対戦した後に、6月25日、馬場がタンパに来た日に小林が勝ったボブ・ループと共に全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ」に来日しています。
ループと小林は、79年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」で対戦することになりますが、残念ながら小林はループの噛ませ犬にされてしまうのでありました。
逆にケビン・サリバンは全日本プロレスの「MSGシリーズ」を終えて日本から戻ってきての対戦。怪奇派になるのはまだ先の話ですが、74年6月13日、東京体育館でジョニー・ロッズと組んで鶴田&ザ・デストロイヤー組と試合している映像が日テレジータス「プロレスクラシック」に残っています。試合ぶりはさほど変わっていないこと気付かされました。
NWAノースアメリカン・ヘビー級王者アームストロングはカール・ゴッチも認める実力者。息子のスコット、ブラッド、スティーブ、ブライアンもプロレスラー。68年8月、日本プロレスに初来日、72年3月の新日本プロレス「旗揚げオープニング・シリーズ」にはジム・ドランゴのリングネームで来日しております。
フロリダ最終戦で対戦するジェリー・ブリスコは全日本プロレスのレギュラーとして来日し、新日本プロレスへの来日はなし。対戦はこれ一度になりました。またディック・スレーターとロン・フラーはこの時点では未来日。
ヒールサイドで小林とタッグを組んだボビー・ダンカンはこの時は全日本プロレスのレギュラー外国人。WWF経由で81年2月の「新春黄金シリーズ」後半戦に新日本プロレス初登場。
パク・ソンナンは翌75年1月、全日本プロレスの「新春シリーズ」に日本側として参戦、76年4月には新日本プロレスの「第3回ワールド・リーグ戦」に参加が発表されましたが、来日はキャンセルされました。同年10月、韓国で猪木と対戦、初戦の10月9日、大邱でのノンタイトル戦がシュートマッチだったと喧伝されました。
翌10月10日、ソウル市奨忠体育館での猪木とのNWFヘビー級選手権試合は、18分3秒、鉄柱に頭部を打ち付けられて戦意喪失、リングアウト負けを喫し、以来日本マット界とは関係を断ってしまいました。
マネージャーのゲーリー・ハートは未来日でしたがザ・グレート・カブキ、グレート・ムタのマネージャーとしてその存在は広く知られております。
フロリダでのサーキットは2か月足らずと短かったですが、貴重なメンバーとの対戦、タッグ結成が見られました。
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