☆ラスト、コーション
*父親とも祖国とも引き裂かれているかのようなチアチー。
*チアチーとイーは死と隣り合わせの悦楽に浸る。
*チアチーはクァンになにもしてもらえない。
*クァンは理想主義の若者。一方で、チアチーとイーは体験者(実践者)である。
*大学生のチアチーからすればかなり年上のイーは大人であり、イーは彼も抱く孤独感を彼女に感じ、それを共有しようと望む。
*忠義の尊厳とインディペンデンスという相対するプロセス、主人公の迷いがフリーダムへと向かうなかに表される、と私的にはアンリーのテクストを定義したが、祖国が裂かれるなかにおいて、愛は喪失している、それゆえ、チアチーとイーが求めるフリーダムは愛である、のか。(この定義にどの作品も入れ込むと、見落とすところが出てくる危険もあるが。)
*ファムファタールものでありながら、ひとりの少女の通過儀礼的な作品というものがラスト、コーションにはジャンルづけされる。
☆西瓜
*水に潤いを求める。
*誰しも人はいつどきかの瞬間に孤独の表情を見せると思うが、ミンリャンはそうしたモメントを、特にリー・カンションにおいて、抽出するかのような絵の組み立てを表す。
*思い通りにいかない雲という英題(原題の訳かな)の方があっている。
*エスタブリッシュされる冒頭、シアンチーとポルノ女優がすれ違う。
*すれ違いや交わる心でありながらも交わらない人物たち(或いは交わらない身体)はミンリャンの傾向としてある。
*鍵はボトルキャップに役割を交代され、解くキーとしてプロセスのなかに潜在する。ボトルが階下に落ちる。キャップがないボトルから勢いよく噴出する水は求められる潤いとして表される。
*アダルトビデオ倉庫のシャオカンとシアンチーのシークエンス、アントニオーニよろしく不毛の愛が展開されるのかと思いきや、そのシークエンスと続くふたりが都会でハグしながら歩むシークエンスで、都会での虚しい愛ではなく、むしろ育まれるものが表される。
*かと思うも、いつも笑えるシーン、すなわち壁一枚隔てられた部屋、シアンチーが見えないところでシャオカンがスイカ・ジュースを捨てるシーンに表されるように、彼は彼女に本当のこと明かさないこと、ここに不毛がちゃんと表されていたのかと今回は気づかされる。やはり不毛の愛が展開される。
*ミュージカルシーン、明るい歌々が不毛の愛を代弁する。
*同じ主人公たちが登場するふたつの時、ふたりの時間の帰結がこれなのかと思わせるぐらいの、ふたつの時、ふたりの時間からすれば衝撃のラスト・シーンである。が、寂しさの克服とは痛みとともにある快感なのか。ミンリャンのカメラアイは頬をつたう彼女の涙をじっと捉える。
☆花様年華
*ミンリャンの時(空)間は都会社会における孤独を今此処にあるものとして表すが、カーウァイのそれは今過ぎ去る或いはもう過ぎ去った名残となって表される。
*腹いせの恋時のようにも見えるが、お互いの伴侶がアフェアを起こす前から初めての出会いの時にはビビビまではなくとも、想うまではなくとも、なにかが生まれていたのではなかろうか。アフェアが発覚する前の本の貸し借りでなにかが膨らんでいったのではないか。冒頭に表される言葉はもう最初からふたりの関係に在るものを言い表していたのではなかろうか。
*お互いの伴侶の好きな食べ物を注文し、カーウァイらしく相手に憑依するものが表される。互いがパートナーになる儀式かのように、お互いがそれをそのときには意識していなくとも、そう表される。のちに、女が旦那に浮気を問いただす練習をする時、男の普通に受け止める何気ない表情がインサートされる。彼女は相手の女はもう彼女自身であることを受け止め、苛まれる気分を味わう。このふたりはストレートにアフェアに進んだ伴侶たちと違って奥ゆかしくも、相手の魅力に静かに導かれている。ラスト、コーションの荒々しく女をせめるトニーレオンとは月とスッポンであるが、相手を想う気持ちは同じぐらい熱いものであろう。
*ふたりの心情を映し出す鏡かのように、映像が組み立てられてゆく。
*カメラアイは女の変化を追っていき、男はそれほど心情を表して見せない。が、雨降るシークエンス、男も遂には心情を吐露する。
*ふたりの恋路の始まりは2パターンの映像によって表されるが、どちらにしても女は一線を越えることを拒む。別れもまた、男が去っていくものと女が見せる涙と車でどこかへ向かうものが表される2パターンがあるが、最初のものが本当に起こったことでふたつめがふたりの心情であること、或いはふたつめである後者が本当の出来事であること、それはオーディエンスの解釈に委ねるのだろうけれど、ふたりの気持ちとしては後者がその後のシークエンス群につながってくるだろう。
*シンガポールまでわざわざスリッパを取りに来ることは、彼の部屋にいた痕跡を消すためなのではなく、証を持っておきたいからであろう。
*アンコールワットに吹き込む言葉は、封印するものではなく、秘密を遂げるものとして表される。変わっていく香港のあの家にある記憶と同じように、なにも置かれていないアンコールワットにもかつての名残は見えないながらにもうずくまっているのである。
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