グリーン・デスティニー
梁山伯と祝英台、大酔侠を観て見えてくるもの、それはまず、近代より前の時代において女性は彼女自身がやりたいことへの自由はもうほとんど禁止といった状況にあり(これは中国だけに限ったことではなかろう)結婚をもって家庭に入ることのみが徳とされていて、それゆえ、そうした狭い考えに抗い離れるべく、グリーン・デスティニーのチャンツィイーは大地へと向かいたい欲望に駆られ、グランド・マスターのチャンツィイーは武術家一帯一路をとってゆく。どちらの作品でのチャンツィイーも負けん気が強くて自身のパワーを過信する点で、大酔侠のチェンペイペイ像を受け継いでいる。また、成就できないじれったい恋愛観と悲劇的なByeByeは、グリーン・デスティニーのチョウユンファとミシェルヨーに、グランド・マスターではトニーレオンとチャンツィイーに表され、梁山伯と祝英台にもあるものが受け継がれている。
グリーン・デスティニー、おもしろかった。チョウユンファはこれがはじめての武侠片らしい。キツネはチェンペイペイだったのか。大酔侠を観たあとすぐだったけれど気が付かなかった。なるほど。。
イェンはいたずらでムーバイの碧名剣を盗む。彼女は武侠に憧れている。彼女は負けん気が強くて自身のパワーを過信する。そんなイェンは全編、大暴れしちゃかちゃし放題。彼女に対抗する武人たちは大損傷しまくり建物はぶっ壊れまくる。
彼女は暴れる。そして彼女は学びもする。女性に自由が与えられない時代、イェンは自由を求める。彼女は願いが叶えられることを信じ山頂から飛ぶ。
血で血を争うことをやめたいムーバイである。ムーバイとシューリンは相思相愛でありながら、お互いの気持ちを言い出せないままである。彼は彼の武術を、素直にして素質もあるイェンに受け継がせたくもある。血で血を争うことをやめたいムーバイは、愛を拡げたいのである。
愛を育みたいムーバイと自由を求めるイェンがこの作品の軸となる。どちらにおいても、自由への欲望がそこにはあるのだろう。
アンリーにおいて、忠義の尊厳とインディペンデンスという相対するプロセス、主人公の迷いがフリーダムへと向かうなかに表される。ウェディングバンケットにおいて、主人公は自国では隠しておかなければならなかった彼自身の持つ本質を、NYでは明らかにして生きるが、婚礼のために訪れた親たちの前では隠し通さなければならない。台湾からNYに移り住んだアンリーの内面の葛藤がそこに表されているかのようにも思える。フリーダムへ向かうプロセスで表される、葛藤に導かれる迷いは彼のテクスト、その作品群に一貫して表されるものである。
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