シド・アンド・ナンシーおもしろかった。ストラクチャー的にはチェルシーホテルから運ばれるボディから過去へと遡るとき、カリガリ博士のあの夢遊病者と同じように、シドは夢のなかをさまようような彷徨が表されるセンス。かつて観たときは、レポマンやウォーカーにあったような遊び心がなくシリアスすぎに感じてあまりいい印象持てなかったけれど、終盤の映像にかかる音楽など一切なしなども含め今回、主人公たちの愛に落ちる化学反応がなるほど、世の中に溶け込めることできなく寧ろ世の中から見捨てられているふたりだから、その切なさがたまらなく感じられる。切なさとはいっても、感情移入させ同一化をはかるものではなく、やはりフリーシネマというドキュメンタリーからナラティヴ形式へと移行した怒れる若者たちの伝統がここにはあるのだろうか、カメラアイは距離を置いてふたりを捉えていくもの、だからこそ哀しさが生まれえる。
コックスらしい新自由主義に対するパンクなアティテュードがそこに表されているのかどうかは分からないが、カメラアイが淡々と捉えるものには当時の(そして今もあろう)パンクが抱え持つエモーションが切実に表されている。
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