魂の洞窟を探り、その洞窟の中にある−恐怖や罪や妄想の−黒ずんだ絵巻を想像的水準に高める、と、とある本に書いてあった。コリンノエカラックスやスコセッシリンチを想起する。ただし、スコセッシリンチは贖罪と慈愛というテーマ、世界に在る恐怖と自己に宿る官能という表現のもと、世界に在る暴力と自己に潜む暴力性を表し、エピステモロジー的なセンスであるが、コリンノエカラックスはオントロジー的に、よりヒトと彼/彼女が在るセカイの形態を執る。宗教観は強くないが、普段の生活でアメリカンやフレンチが感覚する感覚では表される。世代も国も違うからだけれど、イマヘイワカマツシンドウは闘争と生きる、そうしたテーマにおいて、西洋的なタナトスやマゾヒスティックなまでにナルシスト的なものもなく、より外へと向かう運動である。開放的である。オントロジーもエピステモロジーも、そんなこじゃれた言葉なんてこっぱざしくて使えねえ、という感覚で唯々人類学的に人間を捉える。日本的土着性は決して洞窟にいないのかな。泥臭い。
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