『ドッペルゲンガー』
ラストのペズに身をゆだねる。かつて観たときはよく分からなかったという記憶だけど、今回はファンキーだな、となる。ラストがよく分からなかったけど、シンプルに、アメリカ映画党である世界のクロサワゆえ、進歩主義も資本主義もアバヨ的なセンスなのかな、と捉えればいいのかな。ジンテーゼ的に超人ヒッピーになる世界のヤクショ、永作と旅に出る姿、ラストにファンキーである。永作は暖かいのか冷たいなか分からない、と言うが、彼女が求めるのは分身の方なのか、なんでも受け入れてくれる分身に、美味しい蜜だけをもらおうとする本人は実は悪人として在る。ミドルエイジ度クライシスに苦しみながらもインテリから下野するとき、本人の本質が近づいてきて、実に汚さもひっくるめて、人間性の取り戻しにかかるのは、アメリカンながらも日本的外道として清々しい。フォルムは様々でそれに隠れながらも、こうしたヒューマニズムって黒沢清は常にリピートしていると思える。今回のファンキー形式もおもしろかったな、ドッペルゲンガー。
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