『渇き』
ヴァンパイアはクリスチャン的に正式に悪の産物として表される。主人公の神父は、欲望が熱く燃える。ピカレスク・ロマンになっているのは人間的にパッシオネイトである。人間的が幻想と溶け合う。かつて観たときよりも、より感動する。かつてのときは、怪奇ものとして戦々恐々としながら、くるぞくるぞという感じで落ち着いて観れなかったけれど、今回はそうしたものもないの知ってるがゆえ堪能する。ラストの余韻も前回も感動したと思うが、今回はより感動できる。嘆きのテレーズに加担してしまうも、これも悪徳の栄えの人間の営みなるもの。神父は快楽を知ってゆく。これもテジュさんのおかげ。神父はパリサイ人にはわざわざ醜い世界を見せることはさせず、処女には生の喜びを伝える。しかし、生きる喜びも限度をわきまえる必要がある。彼は悪を悔い改めるために、この世から消えるのではなく、愛を全うするため地獄に堕ちる。海辺で醜い生の喜びの世界を堪能しながら、彼はキリストのみから祝福される。神ではなく、生きている者のみが知るこの世界を感じている。魂の救済がケアオティックなストラクチャーとともに歪んで表されているのに、そこには素直なものが表されるのがパク・チャヌクならではである。
海に沈めた旦那を挟んでの3Petc、あの醜と生のコンバイン的な幻影風景、いかにもなパク・チャヌク的で怖くもロマン幻想している。
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