アウトレイジの三作を観たあとで森昌行氏の一連の騒動、贅沢な生活もしていて、とかネット記事にあったりもしたからか、主人公が怒って殺戮する保身と贅沢ばかりを考えるヤクザたちとリンクしちゃったけれど、でも北野武は原氏に恩義は感じているはずだと思う。彼がいなかったら映画作家北野武は大成しなかったのではないかと思う。ってとこで、『アキレスと亀』を再見すると、ダメ出ししまくる大森南朋のギャラリストが原氏に見えてきた。かつて観たときタケシズ、監督バンザイと抽象的なのが続いて次はどんな抽象的なものもってくるのかなと期待していたら、いきなり具象画?と驚かされ、それも木下恵介のようなセンチメンタリズム?となったが、久しぶりに観ると、この三部作は一貫性があるな、となる。ハナビやアウトレイジは切なさや痛みがあってもフィクションとしてのそれらであるが、この作品の主人公の子供時代が当時の北野武の現在進行形の繊細さに感じられ、思えば、タケシズも監督ばんざいも痛みや切なさ出てたな、と思い出され、それも北野武の等身大としてのそれらが表されているように思えるのである。連鎖反応的にまた見だしたらいけないけれど、柳ユーレイが主人公の青年時代を演じたってもんで、3-4×10月を観たくなってきた。あれも精神的追求だったのかな、と。
梶浦由記氏の音楽、印象的、というか、それっぽい。久石譲とも鈴木慶一とも違うので、起用されたの、この作品の在り方が分かるものがある。
アニソンのヒトなの?
そういえば冒頭はアニメ。
そういえば、たけしのマザコンのオブセッションがとても出ていた作品である。
(回路とカリスマのすぐ後に書いたのです。なぜか抜け落ちていた。)
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