初見の『歩いても 歩いても』いまひとつピンとこなかった。市川準の熱狂的なファンの頃だったら、いいなと思えたかもしれない。日常の切り取りな感覚でもやはり幻の光の頃と同じように、供養を描いた形式主義的なとこあるな、と、奥景に仏壇、前景にガラスに映る人々が表されるショットにそう思えた。阿部寛をみると、結婚できない男のイメージが強く、海よりまだ深くはそれが直結するような毒々しさがあって笑えたけれど、この作品は今回はピンとこなかった。またいつか観るとき、いいなと思える日が来るのではと思う。
歩いても 歩いてもと海よりまだ深くは殺人もなければ知らない間に子供が違っていたとかドラマティックなことなくとも、普通の日常にはドラマがある、ということ、日常の機敏を、おまけに歩いてもは海よりまだ深くみたいに台風のクライマックスも用意されてなくって、家族の一日を追っていく形式、外国人が見る所謂日本映画をトライしているかのようなセンスである。是枝テクストにおいて意外にも、他人から見ればノンドラマな作品ってこれだけのような気がする。外国人が思うような純然たる日本映画ってのに挑戦したのかな。
死刑台のエレベーターのパラレルな時間帯のドラマティックではないけど、無職の状態の不安感もそこはかとなく入れているのはおもしろかったかな。
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