昨2019年1/6のNHK-Eテレ「クラシック音楽館」の録画を、今頃になって観ている。
NHK交響楽団第1897回定期演奏会を収めたもので、公演は2018年11/9、NHKホールで行われた。
指揮ジャナンドレア・ノセダ(1964/ミラノ- )、ピアノソロ アリス=紗良・オット(1988/ミュンヘン- )で、プログラムは以下の通り。
1)ピアノ協奏曲ト長調 ラヴェル
2)バレエ音楽《ロメオとジュリエット》から プロコフィエフ
1)のあと、アリスが鳴りやまぬ拍手に応えて演奏したアンコールは、
・《グノシエンヌ》第1番 サティ
・ワルツ イ短調 ショパン
両曲とも技巧を誇示するのとは対極にあるピースで、ゆっくりと1音ずつメロディを歌わせる。ああこの人は本当はこういう曲が好きなんだな、と勝手に思ったのだった。(ちなみに、彼女のデヴューアルバムは、リストの《パガニーニによる大練習曲》その他だった。)
私はアリスについては殆ど何も知らず、これ迄彼女の演奏をじっくり聴いた事もなかった。
が、極く最近になって知った事を併せて考えると、この日の演奏には秘められたものがあったのかもしれない。
アリス=紗良・オットには、ヨーロッパ中心に輝かしい受賞歴と演奏経歴があるのだが、昨2019年2/15、自身の公式サイトとSNSに多発性硬化症と診断された旨公表し、人々から驚かれた由。この時30歳である。
同年10/29の朝日新聞デジタルを読むと、インタヴューに応えてこう言っている、
「昨年秋、日本ツアー中にだるさを感じ、ドイツに帰国後のソロリサイタルの途中で左半身のしびれを感じました。急に手が言うことを聞いてくれなくなり、中断せざるを得なかった。とても怖かったです。
受診すると、原因は過労だと言われた。でもその後も、視野がぼやけ、歩行障害が出てきたので、大学病院にすぐに入院。医師から難病 多発性硬化症の疑いを指摘されました。最終診断を待つ1ヵ月半の間は、すごく長く感じて、辛かったです」。
本人もこのあと続いたインタヴューで触れているが、音楽家では、英国の天才的チェリスト ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-87)の例がある。(*)
彼女は結局28歳で演奏活動から引退し、42歳で亡くなった。
現在では、医学の進歩があり、完治は困難ながらも、多くの人が障害なく日常を送れるようになってきたとの情報もある。
(*)ジャクリーヌ・デュ・プレについては、今月7/19(日)、NHK-BS「プレミアムシアター」が参考になるかもしれない。
・ドキュメンタリー『ジャクリーヌ・デュ・プレとエルガーのチェロ協奏曲』
・英国ロイヤルバレエ《ザ・チェリスト》(世界初演/振付キャシー・マーストン/指揮マシュー・ボール)
上のインタヴューの冒頭で、だるさを感じたのは「昨年秋、日本ツアー中」だったとアリスは言っているが、それはつまり2018年秋の事で、今レポートしているN響定期公演もこれに含まれる。
身体の事は画面から推し量れないし、アンコールの選曲についても勝手な推測は控えるべきだが、ともかく、ファクトデータとしては捉えておくべきだろう。
ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調と私個人の出会いについては、以下で少し書いている。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1939817012&owner_id=3341406
どうしてもこのサンソン・フランソワ(1924-70)の自由で夢幻的な演奏と比較してしまう事になるのだが、アリスの演奏はずっと現代的で知的、第1,第3楽章(アレグラメンテ/プレスト)のジャズ的リズムや、第2楽章(アダージョ・アッサイ)の民俗的で感傷的な歌も、律儀な演奏だと感じたのだった。
だが、第2楽章で別のサイドから付け加えれば、アリスはイングリッシュホルンと素晴らしいアンサンブルを聴かせた。
N響のイングリッシュホルンと言えば、池田昭子(しょうこ)である。
彼女のイングリッシュホルンを初めて聴いたのは、「N響アワー」(当時)での交響曲第9番《新世界》(ドボルザーク)だった。もはやいつの事だったかもはっきりしないが、若いのに素晴らしい歌を歌わせる女性奏者が出てきたと、感じ入ったのだった。
アリスは、池田と随分長く見つめ合いながら、上下するアルペジオで伴奏に回り、うっとりとイングリッシュホルンを歌わせた。
曲が終わったあとの大きな拍手の中で、アリスは指揮のノセダに乞い、池田を指名して立たせた。当夜の聴衆も池田に格別の拍手を送った。
イングリッシュホルンは結構深い位置にいるのだが、ロングドレスのアリスはそこ迄入っていき、池田を抱擁した。アリスに続いてノセダも彼女を抱擁した。
音楽はまさしく一期一会の偶然である事を、強く想起させた。
感動的な場面に、私もつい目頭が熱くなった。
プロコフィエフは、自作のバレエ音楽《ロメオとジュリエット》Op.64全4幕52曲から、管弦楽組曲を3つ、ピアノ組曲を1つ作った。
今回は、その何れでもない、ノセダが自信の考え方で14曲を選び出し、謂わばノセダ版組曲を作った。
どう考えて選択したか、インタヴューからその狙いを拾いだすと、
�.好函璽蝓悉纏襦�
つまり、サブエピソード的な曲や、純粋にバレエの踊りのために作った曲は除いた、という事だろう。
�△修譴召譴龍覆硫山擇箸靴討里弔覆�り(受けと渡し)、連続性を大事にした。
��旋律的で表現豊かなものと技巧的なものが交互にくるよう、バランスを図った。
�ず埜紊�2曲(〈ジュリエットの墓の前のロメオ〉,〈ジュリエットの死〉)はそのままにした。
補うと、バレエは視覚的要素が高い、それをナシにして、物語を音楽だけでたっぷり語りたい。実際のバレエではやれないが、テンポを揺らしたり、特徴を際立たせたりもしたい。こんな事のようだ。
プロコフィエフの《ロメオとジュリエット》については、これ迄何度も書いてきた。
バレエ中心の記述だが、以下参考迄。
・フォンテーンとヌレエフ/英国ロイヤルバレエ
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=716845318&owner_id=3341406
・アナニアシビリとグルジア(現ジョージア)国立バレエ
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1424668268&owner_id=3341406
それにしても、ここだけの冗談で言うのだが、私がオケの1員で絃の最前列にでも位置しているとしたら、できればノセダのような指揮者は迎えたくない。
最初から最後迄ギョロ眼をむき、口をカッと開け、力を入れっぱなしで指揮されると、何だか睨みつけられているか呑み込まれてしまうようで、怖い。
音楽によって顔も身体も、力を入れたり抜いたり、泣いたり笑ったり、いろんな表情をして指揮をして欲しいものだ。
汗も、あんなに鼻や顎からぽたぽた落ちる程流されると、飛び散ってこないかと、ヘンな緊張をしてしまう。きっと指揮にはよけいな力が入り過ぎているんだろうなあ、そう思ったりもする。
繰り返しになるが、ここだけの話だ。
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