3/8(日)、NHK-Eテレの「クラシック音楽館」では、NHK交響楽団の第1798回定期公演の収録が放映された。
昨2014年12/17、サントリーホールで開催されたものだ。
指揮 シャルル・デュトワ
ピアノソロ ユジャ・ワン
<プログラム>
1〜2)ドビュッシー作曲/ラヴェル編曲
・サラバンド
・舞曲
3)ファリャ作曲
交響的印象『スペインの庭の夜』
4)ラヴェル作曲
ピアノ協奏曲ト長調
5)ストラヴィンスキー作曲
バレエ組曲『火の鳥』
今回は、前半に興味があり、ストラヴィンスキーは聴かなかった。
1)〜2)の興味は、ドビュッシー作品(ピアノ独奏)をラヴェルが編曲(管弦楽)したという事。
クロード・ドビュッシー(1862-1918)とモーリス・ラヴェル(1875-1937)は、大らかに同じ印象主義音楽に括られる事も多い近代の大作曲家だ。
ラヴェルは、自作もそうだが、最大の特徴であるオーケストレーションの妙を駆使し、他の作家の作品を編曲している。
最も有名なのは、ムソルグスキーのピアノ独奏曲『展覧会の絵』の管弦楽への編曲の例だ。
原曲作曲は1874年、編曲は1922年。
時代も国も違う人の作品を編曲するのは比較的楽だろうが、同時代の同国の作曲家というのはどうだろうか。いろんなしがらみもあり、気遣いもあるだろう。
特にこの2人の場合、衝突もなかった訳でない。
しばらく前にエリック・サティについてレポートしたが、その中でも、類した事柄が出てきた。
(参)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1939317102&owner_id=3341406
ラヴェリスト達がサティを持ち上げたのは実は反ドビュッシーキャンペーンの一環だった、というのだ。
しかし、これはよく歴史を読むと、取り巻き連中の恣意行為であって、本人同士は尊敬し合っていたようなのだ。
しかし、それにしても、くちさがない連中が、”あなた(ドビュッシー)の原曲よりラヴェル編曲の方がいいね” 等と言ったとしたら、気分のいいものではあるまい。
「サラバンド」の原曲は、ドビュッシーが後に「ピアノのために」という組曲風にまとめた中の2番目の曲で、1896年に作曲された。
「舞曲」の方は、単独の曲として1890年に作曲。
ラヴェルがそれらを編曲した時期は、前者が1920年、後者が1922年である。
とすると、もうドビュッシーはこの世にいない。
なんだ、よけいな心配だったか。ラヴェルも気兼ねなく編曲できるという訳だ。
たが、今回のプログラムではないが、こんな例もある。
ラヴェルは、ドビュッシーの管弦楽と女性合唱の為の「夜想曲」(1897-99)と、管弦楽の為の『牧神の午後への前奏曲』(1892-94)を、2台のピアノ用に編曲している。
編曲時期は1909〜10年であるから、ドビュッシーはまだ生きている。しかも、後者はドビュッシー自身も1895年に2台のピアノ用に編曲をしているのだ。
この経緯については、今回調べる事ができなかったが、大層複雑な関係である。
大作曲家の胸の内は、今回は解明できない。
3)は、タイトルからは判らないが、ピアノ協奏曲的な演奏形態だ。
舞台中央にピアノがセットされる。
作曲者のマヌエル・デ・ファリャは1876年にスペインに生まれ、1946年にアルゼンチンで没した近代の作曲家。
生年はラヴェルの翌年であるから、ほぼ同時代人である。
しかも、1907年から1914年迄はパリに出て作曲に磨きをかけているから、一層彼等の音楽と関連性が強い。
スペインの民俗性と印象主義的な世界を融合したところに、ファリャの独自性がある。
彼の代表作はバレエ音楽『恋は魔術師』(1915)と『三角帽子』(1917)。
後者はバレエ・リュスの為に書かれた。
この『スペインの庭の夜』は、パリ時代1909年に着手、第1次大戦勃発に伴いマドリードに戻って1915年に完成した。
全3楽章は以下の通り。
・ヘネラリーフェにて
・はるかな踊り
・コルドバの山の庭で
全体で約25分程で、ピアノソロがヴィルトォージティを発揮して弾きまくるという事もない。ピアノ付きの交響的な断章と理解すればよい。
4)は、ラヴェルが作曲した2つのピアノ協奏曲のうちの1つ。
『左手のためのピアノ協奏曲』と平行して作曲され、前者が1931年、後者が1930年の完成である。
形式的には、前者が急緩急3楽章の古典的性格を持つのに対し、後者は1楽章で交響詩的な性格である。
形式は古典的だが、当時流行したジャズの影響が、パッセージやハーモニーによく出ている。
全3楽章は以下の通り。
・アレグラメンテ
・アダージョ
・プレスト
この曲、特に第2楽章を聴くと、つい学生時代の下宿の夜を想い出してしまう。
ピアノがサンソン・フランソワ、指揮がアンドレ・クリュイタンスという名盤のLPを持っていて、4畳半の狭い部屋で飽きる事なく聴いたものだった。
ステレオはモジュラー型の中古品で、最初のバイト代をこれに充てたのだった。
4畳半の狭く引き散らかした下宿と無限の宇宙は遥かに繋がっている、そんな思いが、2楽章冒頭のゆっくりしたピアノ伴奏が始まると、胸の中にいっぱいに拡がる。
この世の雑事や、ちっぽけな苦悩等、霧のように消えてしまう。
ユジャ・ワンは、1987年北京生まれの女性ピアニスト。
2001年の仙台国際音楽コンクールで3位入賞し、2003年にデビューした。
現在はアメリカに住み、世界中を飛び回って活躍しているようだ。
アルゲリッチの代役でコンチェルトを弾いた経験もある由。その時の指揮者が、今公演の指揮者で、アルゲリッチの元夫でもあるシャルル・デュトワである。
上の第3楽章のような弾けるようなパッセージばかりでなく、第2楽章のゆっとりとした歌もしなやかに歌わせる。
この人は天分だけでなく、本当によく練習しているのが観ていて判った。まだまだ育つだろう。
スペインの土俗的な性格こそ色濃くは出ないが、それはもう要らないようにも思う。
ただ、ステージの振る舞いはまだまだで、あのピョコンピョコンとした礼は落ち着きがない。
万雷の拍手に応えてステージに再登場しても、ピョコンピョコンですぐ袖に帰ってしまう。ゆっくり聴衆の拍手に応じ、指揮者は勿論、オーケストラのメンバーとも交歓すれば、もっと気持が繋がるし余韻も残るのに、等と思ってしまう。
現代っ子にとっては、音楽とそれらは全く別の事なのだろうか。
高いピンヒールの靴も、ピアノ演奏には怖い気がする。
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