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2010年02月27日19:52

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アナニアシヴィリ & グルジア国立バレエ『ロミオとジュリエット』

2/26(金)、アクトシティ浜松大ホールにて、グルジア国立バレエの『ロミオとジュリエット』(プロコフィエフ作曲)を観る。

ニーナ・アナニアシヴィリがグルジア国立バレエの芸術監督(2004〜 )でありプリマである。彼女がジュリエットを踊る。
芸術監督としては、これからまだグルジア・バレエの芸術性を更に高めていくだろうが、彼女の踊りをfar eastの国で観るという事を考えると、そうそう機会はないのではないかと思われ、この公演のチケットを買った。ニーナは1963年、グルジアのトビリシに生まれた。今年47歳になる。
アナニアシヴィリという人間の略史と考え方の一端については、ダンスマガジン誌の特集号(’10.1月)を基に、以下で述べた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1413640089&owner_id=3341406

そんな切ない思いが動機であった為、席はなるべく前をと思い、先行予約初日(10/4)に7列を手に入れた。7列とは言っても、オーケストラ・ピットが5列迄を占めるから、実際は前から2番目である。
切なさは、ダンスマガジン誌を読んで一層募った。前掲urlの文章でその辺りも感じて頂けるものと思う。

中心テーマに行く前に、書いておくべき事柄を二三。

ロミオを踊るのはアンドレイ・ウヴァーロフ(1971- /モスクワ)である。
ウヴァーロフは今ボリショイ・バレエのプリンシパル。ウヴァーロフはボリショイ時代のニーナと共演歴はあるが、今回はニーナに指名を受けて大変驚いたそうだ。グルジアとロシア両国の間には現在相当に険悪なものがある。それを越えた共演となった訳で、芸術の力と伴に、ニーナの意思の力を感じざるを得ない。

振付はレオニード・ラヴロフスキー。振付改定はミハイル・ラヴロフスキー。ミハイルはレオニードの血族だと想像するが、プログラムでもNETでも確認できなかった。ご存知の方がおられたらご教授頂ければありがたく。
レオニードは、プロコフィエフがこのバレエ曲を作るにあたって相談した協力者である。台本作りにも加わっていて、彼がいなかったら、このバレエはなかったか、少なくとも違うものになっていた筈だ。その辺については、以下を参照されたい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=716845318&owner_id=3341406

つまり、『ロミオとジュリエット』の振付としてラヴロフスキー版は、一番古く、作曲家の意思に沿うものだと言えるだろう。これ以降現代に到るあらゆる振付は、多かれ少なかれ全て彼の影響の下にある。
上のurlで紹介したのはケネス・マクミランの振付による、マーゴット・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフという史上稀有な名コンビの映画である。何度観ても涙をこらえる事ができない、私にとっては特別の映像記録だ。

ラヴロフスキーとマクミランの振付の違いについては、私はテクニカルな側面は話せない。バレエが好きなだけの一素人鑑賞者に過ぎぬ故。
一番の違いは、最後の前、3幕5場、駆け付けたロミオと死体(実際は仮死)となった動かぬジュリエットとのパ・ド・ドゥである。マクミランの演出は、ここが山と、たっぷり時間をかけて2人に踊らせる。動かぬ者とのデュエット程困難なものはないだろう。実際はジュリエット役が、見え過ぎないように力やリズムをロミオ役に貸している筈だ。でなければ、リフトアップ等、できる訳がない。
昨夜のラヴロフスキー改定版ではやはり大胆なリフトアップがあるが、時間的には短い1シリーズだ。棺から抱き上げ、階段を下り、深い悲しみの所作、そしてリフトアップしながら階段を元に上がり、棺の上に優しく置く。
音楽は同じものだから単純には長い時間をかけるのは不可能だが、多分その前の部分、ラヴロフスキー版で挟まれる葬列の場面をカットし、そこからもうロミオに登場させているのではないか、と想像される。ひょっとすると、その後のエピローグ、長年いがみ合ってきた両家の和解の部分の時間も使っているかもしれない。またいつか、確認してみたい。

さて、ニーナの踊りについて言えば、可憐でいとも易く手折れそうなジュリエットが実によく表されていた。ジュリエットは、原作上、何しろ13歳である。現代の日本の学制で言えば中学1年生かそこいら。かくれんぼをして遊び、乳母を困らせる場面(1幕2場)等、幼く明るい笑顔は、裏も表もなく輝いていた。
ジュリエットは、この物語の時間によって、言い方を換えれば、ロミオとの叶えられない愛によって、成長し、最後は自ら死を選ぶのである。最初に登場するジュリエットと、自決する彼女が同じ歳の同じ人物とは思えない。
その”差の大きさ”を、ニーナは見事に表現していた。観る人にこの差の大きさを感じさせる、そこにこそ悲劇の大きな源泉があるのだと、判った次第である。

ニーナというのは本当に稀有なバレリーナだと思う。
彼女がこの3幕で表したものは、弱さを完璧に表現し切る強さだと言ったら奇矯に聞えるだろうか。
この物語には、封建社会で引き裂かれる弱者の悲しみが込められている。その弱さ故の悲しさを、凛として演じ切るニーナに、強靭な程の強さを感じたのは私だけではないだろう。話が元に戻るが、それは、彼女の体験してきた歴史にも裏付けられているのだ。


触れていないデータを並べておく。

原作 ウィリアム・シェークスピア
台本 レオニード・ラヴロフスキー,セルゲイ・プロコフィエフ,セルゲイ・ラドロフ(共同)

指揮 ダヴィド・ムケリア
演奏 東京ニューシティ管弦楽団
出演
ティボルト;イラクリ・バフターゼ
マキューシオ;岩田守弘
ベンヴォーリオ;ゲオルギー・ムシヴェニエラーゼ
乳母;タチヤーナ・バフターゼ
パリス;テオーナ・ベドシヴィリ
他
 
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